見て、観て、視た、切ない人たち。…「memory  呉 治慶 展」

Category : 現代美術シッタカぶり
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10月27日→11月1日【立体ギャラリー射手座】

「カムレンザイ・プロジェクト(Kamlangjai Project)」というものがある。
呉氏、いや彼は自分のことを友達はKayと呼ぶと言っていたのでKayと言おう。
Kayが第5回 DAYS国際フォトジャーナリズム大賞でパブリック・プライズ賞に
選ばれた写真に釘付けになったことが、それからの彼の表現に大きな影響を
与えたことは間違いないようだ。
刑務所の中で生まれた子供とその親。
まぎれもない受刑者である。そして当然、女性である。

Kayは台湾からの留学生。
奇しくも先日、同じく台湾からの鄒さんの作品を
このブログでも紹介させていただいたが、二人とも同じ大学院に在籍している。

このプロジェクトは(以下個展の案内文による)
タイの王女によって主宰されているもので
女性受刑者への援助・教育指導と彼女たちの子どもの育成保障を目的とし、
国と社会の力で受刑者たちが社会復帰できるように支えている。(以下省略)

彼の居た大学の支援と友達の協力のおかげで
Kayはタイ訪問と撮影取材の機会を得た。

話を聞いてみると
台湾人(といっていいのか…二つの中国という問題があるだけに…)
としての彼が、同じアジア(これもざっくりした言い方で全く僕自身わかっていない)
の中のタイという国との関わりは予想通りに困難を極めたものだった。
それは国の感覚のギャップもさることながら
「刑務所」という特別区の中での制約だったと言っていい。
ここでの女性受刑者とその子どもの撮影には150カットのうち
検閲により42カット分しか返してもらえなかったという辛く厳しい現実があった。
しかも撮影時間は当初の話とは全く違うたったの30分。
撮影終了時に刑務官に渡すもの、それはメモリーカードである。
アングルを決めて撮るなどいう悠長なこともできず
ただただシャッターを押していたと言う。

映画でよく見るカメラの裏蓋を開け、景気よくフィルムを取り出すアクションは
今や、ちっぽけなメモリーカードにとってかわったのだ。

彼は言う。「いい経験になった。許可を得ているとは言え、特別な場所で
撮影しているから周りのみんなにも、誰にも迷惑はかけたくない」
どの写真をチョイスするかではなく、残った写真の中から
選ばざる得ない辛さは、しかし一瞬の気に満ちた
“あるがまま”をそこに再現していた。

大学院で芸術表現専攻在籍のKayこと呉君にとって
撮ることの“楽しさ”も“コワさ”も“辛さ”も今回の体験で得たようだ。

このギャラリーでの写真展はとても珍しい。
しかも写真を観念の道具としてではなく、、
ほとんどジャーナリスティックな視点から撮ったものだけに
なおさら意味を成すという気がした。
芸術的表現方法としての写真は、それはそれで好きなようにやったらいい。
しかし現実を、しかも文化も人種も違う他国へ出向いて撮るということには
後付けでも“理由”が必要だ。
まぎれもなく彼はタイの“日常”、しかし刑務所というアンダーグラウンドな世界での
濃い話と“待ち合わせ”までして撮ったのだ。

全文英語のプロジェクトの冊子やしおりを見せていただいた。
彼も「王女ばかりが映っている」と笑いながら言っていた。
タイにとっては、この王女の主宰で始められたプロジェクトは
国家イメージ戦略のひとつなのかも知れない。

そこにある現実にズームインすることは
冷静な目線では見切れない“感情”や“批判”や“嘆息”を
反映するものだ。
芸術表現としてのやや“難しい”ところへ足を踏み入れた彼が
ジャーナリズムという直角な感覚が満ちた世界を
どう解釈するか、面白いところである。

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