アフタヌーンな絵肌…「伊庭靖子 展 resonance 共鳴・余韻」

Category : 現代美術シッタカぶり
伊庭
伊庭靖子「untitled11-2009」110×240cm

11月7日→11月28日【imura art gallery】

会場に足を踏み込み、正面と左右に掲げられた
大きな作品を一目観て、深いため息が出るのは、
ここから沸き立つ或る霧のような
霞(かすみ)のようなものからの“浄化作用”ではないか、
ふと、そんな事を考える。

対象を自ら写真に撮り、それを描く。
今回はクッションと陶器のシリーズ。
柔らかな表皮と詰め物による弾力性、
穏やかな顔つきのクッションと
硬質な手触りと凛とした存在感が際立つ陶器という
相反する“質感”は
それぞれに何の矛盾もないままに
作家の独自性の中で息づいている。

筆跡が全く無い油彩は、それ自体が
温かな“ぬめり”をもって語りかける。
110×240cmという大作を前にした時の
“包まれ方”はタイトルにあるような
作品と観手のさざ波のような共鳴であり、
まったりと残る余韻である。

陶器の表面に映る窓枠からの光や
女性的な“たおやかさ”に満ちたフォルムが
妙なる艶かしさを醸し出す。
そこには陶器を前にシャッターを切る作家が
まさに対象と共有する時間さえも描き出しているようだ。
とても面白いのは観る距離で作品自体の密度が微妙に
変化することである。
それは温度と言い換えてもおかしくない。

叩くように筆を置く画風は
スーパーリアリズムやハイパーリアリズムのような
クールさは微塵もない。
クッションに施された刺繍のようなモチーフは
静かに躍動し、何がしかの“誘惑”をはらんでいるような気配さえある。
一言で表すならとても優雅な絵である。
切実さや比喩といった“思惑”は感じられず、
対象と一体となる心地よさに溢れている。

ファイルを拝見させていただき、果肉の“妖艶さ”や
ファニチャーの“人に寄り添うような皮膚感”に再びため息が出る。

シズルという言葉がある。
“物(ぶつ)撮り”にとっては命題のキーワードだ。
伊庭氏の作品に共通して言えるのは
陶器にもクッションにも果肉にもソファーにも
伊庭氏しか描き得ないシズル、つまり鮮度があるということ。
どれも瑞々しく品があるのは、そこに理由がありそうな気がする。

ギャラリーの紹介にもあるように
現在最も注目されている作家であるという確証を見た思いだ。


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