奇跡の“弾き”こもりの天才…「グレン・グールド エクスタス」

Category : ドキュメントDVD
グールド

監督:ジョスラン・バルナベ

ファンには酷評なDVD。
確かに“あの”演奏が見られると期待した人は見事に肩すかしを食うだろう。
識者のコメントがつまらない。
自分の言葉に自分で酔っているような気恥ずかしさがある。
天才と言う人、いや天才ではないと言う人。
要はあなた方がどう表現しようと、神のような存在の彼に近づく術など
当然のように、無いのだ。
彼の人となりを他人が知ったように語り、進行していくこの映像は
映画制作における怠慢さもまた露呈している。

全体から見ればその占める割合に不満を持たれる演奏シーンは
それにしても、やはり人間離れしている。
“音”(音符ではなく)にとり憑き、その粒立ちを身体でと言うより
精神で捉えて弾く。

グレン・グールドは果たして「弾いて」いるのだろうか。
ピアノという女を、時に優しく時に激しく愛撫し、
この一瞬を“曲と共に生きて”いるようである。

冷ややかで人間嫌いと言われる彼の日常すら
垣間みることができないほどに謎のオフ。
聴衆が大嫌い。悪の力とまで言わせる。
集団としての聴衆を極度なまでに嫌悪するグールド。
彼にとっての演奏に聴衆が他意なく脅かす、かすかな音。
それは“偶発性”を放つ、潔癖なグールドにとっての天敵。
聴衆とは、音楽そのものと生きるグールドにとって行く手を阻む存在。

人と会わない。話さない。
人と握手をしない。
部屋にこもってテレビやビデオを観ているグールド。
孤高の人…。“弾き”こもりの天才…。

1957年、ロシアに衝撃をもたらした公演からたった7年後、
1964年を最後に二度とグールドは公衆の面前では弾かなかった。
演奏者としての大きな“仕事”であり、ミッションからドロップアウトする。
今でこそクラシック界にも奇異な立ち居振る舞いを売り物にする者も居るが
当時では相当な変人に見られただろう。
面白いのは一家に誰も音楽家が居なかったこと。
グールドはそのDNAを神から授かった唯一無比の“申し子”だったのだ。

シェーンベルクの作品をメニューインを合奏する。
グールドのピアノの上に楽譜は無い。
このシーンに限らず楽譜が置かれていない。
全て暗譜している驚異の記憶力。
メニューインは
「僕は楽譜を見ているが…シェーンベルクを暗譜するとは…」と
驚きを隠せない。
それは美しくひたむきな作業。

コメントはどれも抽象に満ちていて理解しようとするより
CDでも聴いた方がいいようだ。
ただ、グールドにとって音楽とは「精神の完成」であり、
目指すところは「無形性」だったと言うのはなんとなく判るような気がする。

どう弾くかなどというのは、彼にとってはきっと取るに足らないことなのだろう。
「なぜ弾くか」を自問自答したというグールドの弾く
平均律クラヴィーア曲集第2巻、前奏曲とフーガ第1番ハ長調は
宇宙探査機ボイジャーに地球を代表する音楽として
地球生命体に、その音色を聴かせているという。


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