揺らめく発光ダンス…「清水裕美子 展  ~THE SIDE~」

Category : 現代美術シッタカぶり
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↑作家氏が一番好きだと言われた作品。僕も欲しいくらい。

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12月1日→12月6日【GALLERY MARONIE Space4】

鮮やかだがヴィヴィッドとも違う。
アクリルや油彩や水彩では
到底カンバスには“落とし込めない”色。
これこそが“染め”だけが成し得る
或る種の透明感なのかも知れない。

しばし見てわかる、という速度ではなく
とても直感的にダイレクトに“こちら側”に近づく。
それは画面上で色が蠢くからだ。
抽象画そのものは観てわかる、
わからないということよりも
自分をその画面の中に置いてみること。
僕はそんな風に観る。

作家は「絵画」という。
下描きやスケッチはせずに
木枠にテンションをかけた生地に
“ぶっつけ”で刷毛を踊らす。
染色というと
「一つのセオリーに沿って工程ありき」の感が拭えない。
そのプロセスこそに染めとしての
完成度が深く関わってくるからであろう。
この「絵画」はその瞬間の衝動や欲求、情念を
染料という「他の画材のような粘度」を持たない
「液状画材」で描かれたものである。
この色の深さは、まさにそこにあるのだ。

作品を観ていて感じる色の動きや揺らめきには
染めという伝統的でシステマティックな
プロセスの上に成立するものには無い「躍動と光」がある。

作品を気にいった人が、例えばこの絵を服にしようが
カーテンにしようがかまわない、と作家は言う。
この時点で「絵画」として完結しているからだ。
むしろ形が変わることを望んでいるかのようである。
確かに、そんな二次的な鑑賞の仕方があってもいいとさえ思える。

SIDEは「側」。
自分を取り巻く全ての事象は傍らで
ある摂理、定理、原則といったもので
何の不思議も不自然さもなく、そこに展開する。
光の中に有機的に存在するそれらが
布の上で軽やかに妖しく踊っているかのようだった。


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