墨と胡粉が呼び起こす闇と光…「吉田 翔 個展 INSPHERE~つつみこまれるように~」

Category : 現代美術シッタカぶり
吉田2
↑2点とも光の街

吉田1
↑光を見ている


吉田3
↑桜

いずれも絵絹、松煙墨、白鷺胡粉、鹿膠

12月5日→12月26日【imura art gallery】

人は元来、光に憧れ、光を求め、光に集まり、光を愛おしむ。
生活反応を示す光も場合もあれば
加飾のツールとしての光もある。
夜の湾岸工業地帯にまたたく工場の光と
それが浮き立たせるフォルムに“萌える”感覚も
ひと気のない工場が有機的にさえ見える光効果なくして成立しない。
時には華やかさ、あるいは郷愁、またある時には鎮魂を込めて
人は光を見る。

夜のランドスケープは光の点在が長さを表す。
ビルも橋も鉄塔も、その高さや幅を多くの光で知る。
向こうの光とこちら側に居る自分との関係性。
それはリアルな心象風景に欠かせないファクターのようだ。

吉田氏の個展での「街夜景」のシリーズは
一見コントラスト極限のモノクロ写真のように見える。
会場でも作品にアクリルのカバーがかかっているために
さらに遠目には印画紙と見まごうが
改めて「黒」という名の色の“多彩さ”を浮き彫りにする、
日本の絵画文化の奥の深さを知る。

これは墨の黒色である。
松を燃やしたススとニカワを練り合わせたものが「松煙墨」で
これを型にはめ込んで乾燥させたものが書道で使う墨である。
が、その松煙墨はそのままでは光沢が強いので
マットな状態にすべく作家自らが調整して作るという。
瞬く発光体は「白鷺胡粉」で描かれている。
これを“あえて”カテゴライズすれば日本画になろうが
それは殆ど意味を成さない。
作家にとって日本画を描いているとか、
そうでないとかの問題ではないような気もする。
表現手段としての墨や胡粉は“すでに”長い歴史の中に厳然とあるわけで、
要はこのような“マチエールを感じさせない”(紹介文より)と
“錯覚”させるほどの使われ方とテクニカルな側面こそが大切だからである。

近づいてみるとわかる、水をのせて動かして作ると言う
光の滲み、ブレのような表情が
独特の湿り気をつくる。
その湿気がなぜか僕には孤独な眼差しを向けてたたずむ
一人の男の心象と重なる。
光によって浮かび上がるものは昼のそれとも違う。
光のファンデーションをまとった夜の顔は
光に思い起こす記憶の残像。

※当初はギャラリーでの撮影した写真を使用しようと思ったが映り込んでしまってそのニュアンスが伝えきれないと判断したため、プロフィール・コメントの書かれたファイルのさらに“コピー”にあるかなり小さい写真をスキャンした。ところがこちらもなぜか“伝わる”のである。すでにこの小さな写真がイメージの喚起力を持っているということである。


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Comment

ご来廊感謝

岡林真由子さん、食えるようになって欲しいと思います。あの世界の共感者がいはることに、なんか安心しました。もしよろしければ、成山亜衣さんの作品ギャラリーへ持ってきておきます、また一大イベントが一段落したら「ついで」に寄ってください
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