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あっけらかんと口を開ける…「境界 kyokai 三野 優子 展」

Category : 現代美術シッタカぶり
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1月19日→1月24日【アートスペース虹】

ギャラリーサイトのスケジュールを見ると
真っ向からの、寺の入り口の写真。
ひねりなしのストレート。

被写体から何を与えられるのかという見方を
圧倒的に支持する僕にとって
ハードウエアがピンホールであろうが、
一眼レフであろうが、デジカメであろうが
大した問題にはならない。
風景写真に特化したグループ展などを見ても
美しくなければ写真ではないと思い込む側からの作品に
アンテナは向かない。
僕の質(たち)なのかも知れない。

この寺の門ばかりを正面切って撮った作品は
テクニカルな面において語る余地さえ与えないほどにごく普通である。
それは肩すかしを食らったようなあっけらかんとしたもの。
ただそれだけの写真がこうして展示される、
その事自体にエキサイトするのは果たして変なのだろうか。

作家本人は滋賀県守山市生まれ。
ここの寺も全て守山にある。
さて、眺めているうちにオーナーも交えて、
たちまち寺談義になる。
この作品はそういう作品なのだ。
一点一点をマジメに見ている人を、
さらに見ているのもたぶん面白いに違いない。
観光地にあるような寺でもなければ、
ましてや檀家でもない人間が寺をくぐることはあまりない。
神社の鳥居とは違った意味で、この“境界”は特別のもの。
その先に墓があることも、宗派の違いに感心することも、
果ては坊主丸儲け(失礼)と揶揄することも含めて
彼岸や盆に改めて先祖を認識する場所であることは確かである。
境内に幼稚園がある寺、写経ができる寺、
ライブや演劇ができる寺もあるが
圧倒的にそうでない寺のほうが多い。
一つとして同じ入り口はない。
立派なものもそうでないものについて、継いだ人や嫁いだ人のことも
僕たちは人事のように笑って話す。
そうそう他所の寺についてや少ない寺の知識を持ち寄って
話すことなどあるまい。
そう考えるととても意義のある“作品”に思えてくるのが不思議である。

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