還るべき土、自明の理…「青木 拳 展  流転」

Category : 現代美術シッタカぶり
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3月2日→3月14日【ギャラリーはねうさぎ】

壁一面に無数にコロコロと這う一見、石のようなオブジェ。
それは川底からぞろぞろ隊列を組んで這い出てきた
手足を縮めた生き物のようにも見える。
いろいろな角度から“観察”してみたくなる醍醐味というか、
作品の中に小さくなった自分を入れてみたくなる面白さ。
そんな空想も楽しい“石”たちである、が
これは陶。
手でコロコロ丸め出した陶芸作品である。

作家は脂ののった先鋭の陶芸作家。
プロフィールを拝見してなるほど…。
1992年の「若いひとのクラフト展」入選以来、
相当な数の受賞歴を持つ。

ファイルを拝見。
小さくリズミカルに波打つような
微弱な振動を感じる作品は形そのものの繊細さと
ミニマムな要素の構成が美しい。

この作品は流転のタイトルが示すように
作家の陶芸観を反映したものと思われる。
自然石を丹念に磨いたような質感と表情に
まるで作為を封印したような印象。
陶の還るべき姿を観念的なループ状に置換すると
こうなるのかも知れない。

陶芸というジャンルにおいて、
何を作るかという課題と共に
陶芸とは“詰まる所”何か、という命題を
改めて、しかし深刻な顔でなく、
こうしてあっけらかんと提示されると
大仰な検証をしてみせるのではなく
これらの作品がすでに語っているのだと実感する、じわじわと。

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うずたかく積み上げられた陶片。
二つと同じものがない個の集積は
形や色が違えども“土の転化”という共通の記号を持つ。
そこから密やかなメッセージが立ち上る。
それは遺跡のような、
過去を覗かせる断片にも、
貝塚に見られる痕跡のようにも見える。

器やひとつの造形で完結するほど狭量でない
陶芸の“フトコロ”の広さと
作家自身の柔軟さが垣間見える。


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