重層する線の向こう側…「「第16回 尖 SEN  マツダジュンイチ」

Category : 現代美術シッタカぶり
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5月11日→5月16日【京都市美術館 本館1階】

日本画作家の会である「尖」のグループ展。
日本画の定義は僕にはわからないが、
出品されているマツダジュンイチ氏は
もはやファンを勝手に自認させてもらっている
超がつくほど好きな作家である。

「面壁 2010-05 ~光迹~」
縦1800mm×横900mmのカンバスが8枚。
実に幅7200mmにもなる大作。
最近はどんどん大きな作品になってきているように思える。
もはや作家のアタマの中の構図は途方もなく膨れ上がり、
その筆跡は時間を紡ぎながら、出口を探すかのように見える。

ケント紙に鉛筆、墨、色墨、コンテ、透膠という画材そのものが
日本画の先入観を見事に裏切るようでもあるが、
やはり真摯に対象を見つめながら心象を描き表す
研ぎすまされた感覚はこれだけの大作ながら
テンションを保つ糸のように凛とした印象を醸し出す。

お話の中で9.11に触れておられた。
あの破壊力(ここで言うのは破壊させる力ではなく
破壊そのものがもたらす結果としての力量)は
幾多の作家に“負”のインスパイアとも呼べる
“悲観”と“疑問”と“憎悪”と空しくもせざる得ない“学習”、
そして最後に人類のまごうかたなき“業”を突きつけた。
以前にも、陶芸家であった女性作家が阪神淡路大震災で
徹底的に破壊された自分の作品を見て、
「一体陶芸とは何なのか」と残酷な自問自答をされたとあった。
彼女は以後、写真家に転じたという。
天災と人災では違うことは重々承知の上であるが
その“光景”はとんでもない力が働いてできたものだ。
マツダ氏も「絵とは何なのか」を自らに問うたのであろう。

画面は左から徐々に緩やかに、密から疎へと移行する。
右端にある白い“色”がわずかな出口のような
希望のような印象を与える。
しかしマツダ氏の作品はどんなに密に描かれていても
息苦しさが無い。
それは大量の絵の具をまき散らしたり、刷毛で一塗りするような
行為の上には成り立っていないからである。
真っ白い画面に下書きも一切無しに鉛筆の線を
重ねていく作業は「線」と一心同体になり、
線の意志のままになだらかに、その時の空気感をトレースしたようにも見える。
それは鎮魂と、嫌が応でもやって来る、少なくとも希望的観測のもとにある
未来との折り合いをつけながら進むしかない僕ら自身の心情なのかも知れない。

アルミニウムを練り込んだ墨が所々で鈍く光るそれは
何かを発信している鉱石のメッセージにも見えた。

「僕は多分、必然と偶然を行ったり来たりしているんだろう」と
仰っていたのが印象的だった。

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↑上は横田和映さんの「ヘブン」。鳥の子紙に鉛筆の線のみなのでうまく撮影できず…。 
 遊体離脱しながら自分の街を逆さまにさまよい浮かぶ感じがなんとも魅力的。

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↑比佐水音さんの「SKY」。かなり大きな作品。
雲が生きているようにゆっくりうごめく様が時間とともに感じられる壮大で温かな作品。
(土佐麻紙、胡粉、墨、水干絵具、岩絵具、膠)



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