知られざる戦争の異形…「ふたつの青空」劇団あしたの会

Category : パフォーマンス見聞
あおぞら

8月29日→8月29日【アトリエ劇研】

作:山崎立嗣 演出:原うめ
出演:蒲原 敏光 一文字 鷹

1994年のヘレン・ケラーの「奇跡の人」公演に際して
セリフの字幕作成を担当したメンバーが意気投合し、結成された「劇団あしたの会」。
聾(ろう)者と聴者が共に演劇を作り楽しむという、
ステレオタイプな「演劇」の概念を一度解体しながら、
根底から構築した劇団と言えると思う。
実際、手話でセリフを伝える役者に求められる聴者以上の“機微”を彼らから感じ取った。
二人の役者は共に聾者。
手話を解せない観客の“ため”に正面に字幕が投射される。
解せない聴者はここでは或る程度の“不自由さ”を感じながら芝居を観る。
効果音にも全て字幕が付く。
いつもの小劇場公演とは明らかに違う始まる前のどことなくリラックスした雰囲気。
しかし一旦始まれば、そこに「音」は無い。
役者が足を踏みしめる音、役者の漏らす嗚咽、手を強く打つ音(もちろん演じる側には聞こえない)が
いつもの舞台を全く別な空間に変えてしまう。
そしてここには口調の強弱や「?」や「!」が常に動作を伴って観客に伝えられる。
聾者や手話を会得している人には当たり前なことに
僕にとっては、真新しいリトマス紙の上で観るような新鮮で不思議な感覚を覚えた。

聾者であるがために戦地へは行けずに(それは言わずもがな親の落胆でもある)
連れていかれたのは北海道の果ての網走で軍の飛行場建設のための石の切り出し現場。
鬼のような上官と犬のように扱われる朝鮮人の間で
果たして自分は何者なのか…聾者であることの「地獄」と
地の果てで一縷の望みもない未来。
そして戦争は終る。

「普通の人」が異常で悲惨な環境に身を置いた話として語られる「戦争体験」とは
明らかに一線を画する、マイノリティとしての「知られざる戦争」が
ここにはある。

この体験を語り伝えねばと講演依頼に奔走する聾者である現代青年。
この青年も聾者が受けて来た矛盾や差別と闘い、
それをより具体化するために直球勝負で社会に挑む。

二人が入れ替わり、自分史を語りながら
それぞれの「生きにくい時代」の生き方を吐露する。
二人の接点により、より立体化し際立つ、聾者という立場と使命感。

作者の言葉。
「戦争体験の語り部はやがてゼロになる。その時の不安定が怖い。
体験者の心情のタガが無くなり、勇ましい論理が机上のみで飛び交うのが怖い。
「追いつかない」とか「遠い」とか言っている場合ではない。
創造に立つ者の意識として“やりたい芝居”と
“やらなければならない芝居”があるとしたら「ふたつの青空」は
間違いなく後者だ。」

その大志とは裏腹に実話を舞台化することが生易しいことではないことも
二人の出演者へのインタビューで理解できる。
登場する二人とも存命であり、嘘(脚色)は入れないという大前提があったからだ。

「長谷川証言」と呼ばれるこの事実は
破壊や死といった戦争イメージの陰で
息を殺して出番がくることを待っていた生々しい、
そして現代に続くであろう教訓なのである。

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Comment

おはようございます

はじめまして 聾色のさくらです。
あしたの会公演 ふたつの青空を観に行かれたそうですね
ありがとうございました。
ブログをのぞかせていただきました。
とてもよいお話だったので 私のブログで紹介しました。
事後連絡で失礼しました。
よろしく お願いします。

よければ 聾色のさくら ブログを観にいらっしゃい
http://ameblo.jp/rouiro/
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