色あせない唐突感…「 ピンセットの刺さった円柱の飯は木彫りの台を通過する ~ HANAOKA Nobuhiro 」

Category : 現代美術シッタカぶり
9月21日→10月3日【ギャラリー恵風】

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たじろぎ、とまどい、腰引ける。
好奇と疑問の隙間をくぐる。
アタマの中で「?」がメビウスの輪になる。
でもなんだか面白い。
その“なんだか”に説明は要らないはず。
正体を知ることが現代美術の理解の仕方ではない。
むしろ正体とは観る側に潜んでいるひとつの回線がスパークした時に
チラッと垣間見えるもの。

「 & ART KYOTO 」というサイトでのインタビューの花岡さんの
言葉に面白いフレーズを見つける。
大学在学中に自分の作品を
「美術なのかどうか」ということはどう捉えていたか?
この質問に
「当時は美術をするというよりも工作や図工の延長線上という感じ。
美術をあまり意識してなくて、ギャラリーで発表している人を見ると
ませている人がいるなぁ、というふうに見ていました(笑)。
本当に全く切り離されていました」
作家の言う“ませている”という感触がとてもよくわかる。
この“ませている”と感じた他人の作品、あるいは展示状況に
自らの作品との乖離を見る、ということが
すでに現在の花岡さんのポジショニングの
確定要素となっている気がするのである。
つまりはそれがそのまま、観客の視覚から脳へ“理解しよう”という
脅迫的な信号となって伝わり、作家の言う
「面白いというだけではなく“しこり”を残す」ことへスムーズに導かれている。

と言えば直感的にビビッと響くようなインパクトを期待するかも知れないが
至ってそれ(作品)は理路整然とそこにあるのである。
度肝を抜かれるとか、のけぞるとかのリアクションはすでになく
淡々と粛々とそこに存在する。
だから観客は時間をかけて楽しめばよい。
この唐突な出会いを自己流で勝手に分析し、評価し、
そっと自分の引き出しにしまうのである。
例えばその引き出しのインデックスは「番外」とか
人によっては「論外」でも「心外」でも構わない。
作家はそんなしこり(痕跡)を残せばいい。

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米飯という誰でもが触ったことのある確信的感触が
木彫を突き抜けている。
挿入部にはピンセットが整列されているが
当然めり込ませると(ここからが観客の豊かな想像の産物となる)
入り口で周囲の米粒が溢れ、ピンセットにも
運不運が反映されて
見事にピンセット寿司として成就したものもあれば
その願いむなしくはじかれるものも出て来る。
と、まぁ滅多にない想像への架け橋ができる。

昨年の第12回岡本太郎現代美術賞特別賞受賞作品
「ずれ落ちた背中は飯に突き刺さる」は審査員をもってして
こんなテーマが芸術になりうるということに驚きを隠せない、と
言わしめたとある。
落としどころがどこにあるのか不可解な作品を
“楽しめる”観客自身の尺度を
推し量っているような気配漂う作品である。

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