クラプトン、またはロックと加齢。

Category : MUSIC
「ロックはどうして時代から逃れられないのか」渋谷陽一著
主にロックミュージックへの能書き。
ライナーノーツはレッド・ツェッペリンとプリンス多し。
それにつられて今読んでいる。
「ロッキング・オン」つまり自らが編集長をつとめる雑誌の記事が
中心なので、言いたい放題小理屈満載である。
14年前の“ロック・ミュージック”について書かれた本を読むということは
なるほどそれなりにタメになる。
でも今読むと、時代から逃れられない宿命を背負ったロックなど
どこにあるのだ、という気がしてくる。

1970年9月から1971年7月のたった10ヶ月の間に
ジミヘン、ジャニス、ジム・モリソンと立て続けに3人が
同じ“J”の頭文字、同じオーバー・ドラッグで亡くなっている。
家を出ようかどうか、ドロップアウトだどうだとわめいていた17歳の僕は
その衝撃を余震のようなタイムラグをもって知ることになる。
ミューズの神の醜いジェラシーとしか思えない災厄である。

さて話は変わる。
クラプトンの新作「クラプトン」からの曲がふいに流れる。
僕はクラプトンについては不幸なことに
優れたギタリスト程度の感覚しか持っていない。
クラプトンがやることは全ていい、と思える人には
彼が成すことと死ぬまでつき合える。
が僕はそうでもない。
確かにペイジもベックもスタイルに固執しすぎる傾向にある中で
クラプトンだけは“エリック・クラプトンであること”だけで成立する
達観したロック観をとてもナチュラルに醸し出せる人だ。
この3人の中では最もポピュラリティーがある。

ところで、かつての牧師のような風貌が、新作のジャケ写では
中途半端な洗練さと知的演出が鼻につき、洒落た学者然といった面持ちで
正直どうにも好きになれない。

ファーストシングルの「枯れ葉」は大人気だと言う。
カバーあり、オリジナルありのそれでいて地味な作りのアルバムだ。
ギターもほんの控えめで
むしろヴォーカル・アルバムと言ったほうが通りが良さそうだ。
しかしこの「枯れ葉」を聴いた時は耳を疑った。
クラプトンがイヴ・モンタンを手本にして歌った枯れ葉について
「たっぷり年を取ったから、こういうバラードも歌っていいじゃないか」とか…。

枯れ葉ねぇ…もう枯れ葉に行きついてしまったのだろうか。

僕はジェフ・ベックに心酔している、それでも彼よりも多少若いジジイだが
だからこそジェフに酔う。
彼のギヤシフトにバックは無い、と思わせるような
その「ロック」にしびれ、鼓舞される。

それは優雅な書斎で一人つぶやくようなクラプトンと
ガレージで油まみれになってモンスターマシンと戯れているジェフとの
体温差かも知れない。
ロッド・スチュアートもすっかり丸くなってしまい、
スタンダードシンガーになってしまった今こそ
ロックとは何か、を語るのにふさわしい時はないのではないか。
などと思ったりする。

静かなパッションもそれなりにシブいが
僕はやはり強烈なグルーヴが欲しい。
時としてそれをジャズに求める自分も居るが
やはりロックミュージックはジャズではないし、
いつの間にか音符が高尚な語彙に取って代わってしまった
ジャズのようにはなって欲しくない。



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Comment

No title

あらら~!
と わが耳 疑っちゃいました。
買うんじゃなかった残念賞アルバムといった感があります。
まだ そこまで聴きこんではいませんが 
一回聴いたら しばらくは聴かないでも良いかなぁ(笑)
クラプトン氏 ロッドの後に続くのかしら。
しかし 二匹目の泥鰌は 居ないんじゃないかなぁ、
ある意味 ショックなアルバムでした。 

to imari

ジェフ・ベックの「オーバー・ザ・レインボー」とはまた違うニュアンスだと思います。もうクラプトンはしこしこ枯れたブルースやってる人として、ロックの館から出て行っていただきます(笑)
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