DANCE 4 ALL 4回目練習。舞台ができる。

Category : DANCE 4 ALL への道のり
今年最初のおやじチームの練習。
見れば講堂に足場が組まれている。
ギャラリーの席もしっかりできている。
そう言えばモノクロームサーカスのWSを終えた時、
女性たちが足場のパーツをせっせと運んでいた。
結構な重労働だったと思う。お疲れさま。

さて例の「骨骨壁擦り付けパフォーマンス」の練習。
正月明けですっかりなまったカラダにはキツい。
みなさん相当に体重がアップされたようで
こころなしか息が上がっている。
今日はアップ、というよりWSのようなメニューが
2時間近くあった。
みんなの本心は「一体どんな振り付けになるのか…」という
一抹の不安だと思う。

帰り道、これは自分のカラダが実際どういう構造で出来ているのかと
どう動くのかという一つのレクチャーなんだと考えた。

ダンスをするということ一体何か…
楽しい面白いハジケるダンスは
それはそれでとても意味のある表現手段なのだが、
そのことをライフワークにしているしげやんのような人は
“知恵”があって“認識”があって“実際”があって
“関係性”が成立する、ということを、
ダンスをする“つもり”なら
もっとしっかり学びなさい、と言っているような気がする。
しかしカラダはそう簡単に動いてはくれない。
しげやんのメニューは
他者と自分、あるいは床や壁と自分、
もっと言えば気配と自分との「接点」に集中するというものだと感じる。

ダンスのWSや、こうして実際に公演というカタチで参加していくうちに
かつて抱いていたダンスのイメージが随分と変化してきたように思う。
パフォーマンスとして捉えていた今までの概念の変化というか…。
“身ひとつで”という言い方がふさわしい、
表現方法としては最もシンプルでありながら
これほど強烈に語りかけるものもないのではないか、と思うようになった。
言葉や楽器、映像の持つ“威力”は見事にスルーされ、
“純化する肉体”だけがそこにある。
つまり肉眼的には「媒介しない」ということ。
もし媒介というのならそれは「精神」を
「肉(ソフト・マシーン)」が取り持って
「可視化」に導いているということではないか、と。

モノクロームサーカスのWSではないが
肉体は絵筆のようなもので
その軌跡こそがダンスなのではないか。
(と、エラそーに言ってみるのだ)


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