見ることに向き合う。そして絵を成す。…「 日高 理恵子 見ること 」

Category : 現代美術シッタカぶり
1月11日→2月4日【 galerie 16 】

今年ほど寒くなかった、ちょうど一年前、
神宮道を入ったギャラリーで拝見した日高さんの個展は
木霊のささやきが聞こえてくる予感はあるのに
なぜか無響空間に佇んでいるような孤独感を感じた。
http://den393.blog81.fc2.com/blog-date-201001-6.html

モノクロームで描かれたそれは
自宅の庭に立つ百日紅(さるすべり)を見上げた連作。
これは作家にとってはエポックメーキングかつ象徴的な作品なのだが
対象への畏敬をも感じさせるほどにストイックな印象だったのを覚えている。

↓アクリルの箱に収まっているために撮影者の映り込みはご容赦を
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↑DMのメインにもなった「ケイトウ」は日高さんにとっての原点回帰の道しるべなのかも…

個展の案内に書かれた一文は端的だが
絵を描くひと全てが或るささやかなシンパシーを持って
素直に受け取れるものであろうと思う。
「どう描くか」とは「何を描きたいか」、その逆もまた…
このもっともな不文律は永遠に画家を迷わせる。
今回の個展はいわば日高さんが、
この道を選んだ若き日に、もれなく手渡された
芸術表現という迷宮の扉を開ける鍵を
大切な宝箱からそっと取り出してみた、そんな感じがするのだ。

大学1年の時のレンブラントの「老人」の模写、
北海道の大地に屹立する樹林などの24点のドローイングは
そのほとんどが鉛筆で描かれたもので
小品ながら、対象に向かう真摯な眼差しと
愛でるように細密な、撫でるように優しい線の
素晴らしさにあふれている。

僕は煩悩にまみれた一人の傍観者として絵を鑑賞し、
こうした勝手な拙文によって、
あたかも知り得たような気分に浸っている。
しかし“現場の当事者”は孤独で辛く、
評価という寒風に常にさらされる。
「絵を成す」ことの厳しさとは自己との闘いであり、
禅問答を反復しながら、シジフォスの岩のごとき
むなしさがつきまとう苦役であるかもしれない。

じっとこれらの作品を見ていると
不思議と或るみなぎる力をカラダの奥底に感じる。
“見ること”の先にあるものによって
こうして豊かに心が満たされること…
それは喚起だったり啓発だったりするが
静かに流れているのは作家の迷える魂のつぶやきなのかも知れない。

若き日の作家が辿った
かつての旅のビターなおみやげ話が詰まった
味わいのある個展だった。

現在開催中の大山崎山荘美術館での
映像作家・さわひらきさんとの展覧会も楽しみ。

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