私とは関係なく空はそこに浮いている…「 空を見上げる - look up into space - 玉木香津子 展 」

Category : 現代美術シッタカぶり
3月15日→3月20日【 ART SPACE NIJI 】

写真は果たして作品そのものを正確に捉えてたか…
とは考えない。
僕は僕なりの見方で見る。
大好きな或る作家さんのコメント。少々長いが引用させていただく。

「もともと作品はそれを創る者と、それを観る側との間に成り立つものであって、
作品自体が絶対的存在を持つことはないと考えている。
すなわち、絵は観られることによって作品となるのであって、
観る側が眼をそらせば作品であることをやめる。
どうしても作家が「素直」に自分の作品を観ることが難しい。
また他人が観るとき、その絵は、もう完成したものと受け取ってしまう。
そこに作家の意図しているものが全て表現されているかのように…」


作家が言うとこの言葉は途端に説得力を持つ。
「なぁーんだ、そんなこと」と言わずによくよく咀嚼してみれば
ここに作家のディレンマがあることがわかり、そこからの糸口を見つけ出す作業が
いつまでもつきまとうという宿命を知る。
実にやっかいだ。
だから僕は僕の好きなように見て、時々作家さんを「へぇー」と言わすのが好きだ。

会場にはタイプの全く異なる作品群が3つ。
玉木さんは環境デザイン学科出身なのに、どうも鉄やら樹脂やらで作っている。
別に二つに無理に脈絡を渡す必要もないけれど、
あくまでプラン有りき、理想有りきの“デザイン”という領域から
鉄や樹脂のオブジェに至ったいきさつは…やっぱり相性なのかな。

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CIMG5753.jpg CIMG5754.jpg

▲下の作品もアングル次第でこんな“顔”になります。

CIMG5762.jpg

黒い枠で構成された直方体に天秤はかりがワイヤーで吊るされている。
「沈黙」と題された作品は3体あって、それぞれが繋がりそうで繋がらない
一種のよそよそしさを漂わせている。

もし全く同じ体重の者がシーソーに乗った場合、
片方が喋ろうとしたら、おそらくそちらへ傾くのではないだろうか。
腹筋か、整体か、肩かは知らぬがそこには“見えない力”が反映されるはずだ。
この整然とすました風情の3体はそれぞれが、その微かな力を秘めながら
そこに居る。
ただし皿の上に分銅は乗っていない。
見えない空気の重さ、とでも言うのだろうか。
ここで紹介している写真は上から下から、あらぬ方向から勝手にあけすけに
撮ったもので、我ながら面白い。
当然立体として認識している“はず”のものも、こうして見ると
「作意なき構成」という側面を楽しめる。
皿がアクセントになっている。

CIMG5763.jpg

CIMG5771.jpg

▲0.8ミリの鉄はデリケート。
バーナーであぶるとたわみ、しなり、歪む。
真新しい水たまり。
風が表面にシワをつくる。
表面はまるで曇天の空のようだが、
好天に屋外で見たらどんな表情を見せてくれるだろう。

CIMG5766.jpg

▲樹脂から伸びる鉄の植物。
まるで中にいる湿気を帯びた環境から放たれた芽は
瞬く間に伸びて、やがて錆び付いて、
だがその錆を味方に強靭な肉体を得る。
小品だが物語性の強い作品。

物腰の柔らかな玉木さんは土佐生まれ。
ということはご多分に漏れず、酒豪な「はちきん」なのかなぁ…。

CIMG5768.jpg

▲水溜まりをそのまま型にとって固めたようなとてもチャーミングな作品。
 樹脂なのに「ナチュラル」を感じさせる。


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