まんまんちゃん、あん。

Category : 浮世の「うっ!」
初盆に向けて母の仏壇を買うことに。
お寺さんから紹介された店は慶応元年創業というから
もうすぐ150年になろうという店。
初めて通る万寿寺通りはまだこれでも車が入るのかというほど
狭くなって、そのまま河原町通りに繋がる。

盆前だからか、大手では仏壇セールなるものが目に入る機会が多い。
しかし行ってみるとあまりに対応がカジュアルなことに驚く。
何もかしこまれとは言わないが、そこそこに高い買い物であるし、
一度買ったら気に入らないからといって買い替えられるものでもないので
こちらの慎重さにチューニングを合わせて欲しいのである。
仏壇は確かに高いものほど出来映えが凝っている。
ただ単にアイテムとして捉えているせいか、
詳しい話になるとなんとも心もとない。

結局紹介された店に行って、しかし紹介されたというのは
最後に言おうと思って、その重い引き戸を開けると
そこには実に人当たりの良い、
商人顔の四代目のご主人がにこやかに出迎えてくれ、
ああ、ここで買おうとその瞬間に決めてしまった。

僕の育った環境に仏壇との接点は希薄だった。
つまり、こちらでいうところの“まんまんちゃん、あん”は
日常行為以外の何物でもなかったのである。
当然京都の、いや関西の子供たちは
この“まんまんちゃん、あん”を早くから覚えることになる。
“まんまんちゃん、あん”の「まんまん」とは
南無阿弥陀仏が関西では「ままはん」になったもので、
「あん」とは拝む行為、
つまり頭を下げて礼をするというところから来た幼児語であるようだ。
「ほれ、仏様にあん、せな」とか言う。

今は毎朝、般若心経を必ず唱えている。
演劇に必要だった般若心経が役に立っている。
(とは言っても本番ですっとんだことは多々有り)

墓は石、位牌は木、仏壇も木である。
職人さんが、そのランクに見合う材と手を入れて作ったものだ。
納骨の時は墓所でお上人(お坊さん)さんに唱えてもらい、
仏壇に“魂を入れる”時も当然、同じように唱えてもらう。
何らかに事情で仏壇を処分する時も
“魂を抜いて”もらうために同じことをお願いする。
勿論、それぞれにお布施が納められる。
魂を入れるも抜かれるも、唱えることでそこから始まり、終る。
まぁ、儀式といえばそれまでだが…。

母が納まった墓は母が初めてである。
自分が作ってから11年目に鬼籍に入った。
これらの石や木がきちんとした意味、
本来の役目を持つ時から
僕たちは先祖を意識し、祀り、
やがて自分の後に道ができ、前に道をつくることになる。

こじんまりとした仏壇を見ていると(今どきのは家具調でオシャレだ)
ああ、日本人だなぁとしみじみと感じ入る。
こうして日常に“墓に参ること”と“仏壇に供える”ことが
ポピュラーになるのである。
多分そのような年齢になったということだろう。
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Comment

No title

まんまんちゃん、あん。
久しぶりに聞きました。
小さい頃親戚の家に連れて行かれて仏壇のあるところには
すぐなによりも、「先、まんまんちゃん、あん、しぃ!」って言われたわ。
それと幼児大阪弁?といえば、お茶を「ぶーちゃん、飲み。」って言われたな。
ぶぶから来てるんでしょうね。

お店の人の第一印象大事ですよね。
ここでお金落とそ、って衝動掻き立てられる人と出会うの気持ちいいもんなぁ。

遅くなりましたが、舞台お疲れ様でした。

to てぃー松さん

初めてこの言葉を聞いた時は
それはもうおかしくて、おかしくて…
やすきよの漫才の中で出て来て、
これはメジャーな(笑)言い回しなんだって納得しました。

さすが老舗でした。
京都では時々尊大な店主が居たりしますが
ここは素晴らしかったです。
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