変貌し続ける若手書家…「川尾朋子展 呼応」

Category : 現代美術シッタカぶり
川尾1

写真の作品は「眩暈」2008 今回の「呼応」と作風は同じと解釈し載せた。
この作品は縦1100×2400
これを見るにつけ、今回とどう違うのかが、よくわからない。

2月24日→3月8日【ギャラリー H2O】

6歳より書を学んだ後、公募展などで多数受賞経歴のある書家の個展。
書の本場、中国での国際書法展でも過去三回の受賞。

細いアプローチを進んだ先にあるこじんまりとセンスにあふれた茶室を
思わせる和室に対面して、壁一面漆黒のギャラリー。
入り口に向かって吊るされた4枚×2列の「書」。
向かって左が「発」、右が「着」といったところか。
作家いわく
「わたしたちは決してかたちに見えない想いを送り、
それを受け取りながら生きています。
どうぞ左右の作品の間をお通りください。
点から点への呼応。それは連続した呼応の通路になっています。」

今回の作品も「書」であるという作家本人の過去の作品ファイルを見ると
展覧会ごとにテーマと作風は著しく変化し、書に対してのアプローチが
全方位的であることに気づかされる。
しかし、それは同時に「とまどい」とも受け取れる。
帰ってから、上記の解説(個展案内DM)は不要だったのではないかという気がしてきた。
作者が言いきることに、誘導されてしまう視線というものが厳然とあって
時として、揺れている自分にいらただしさを感じることがあるからだ。
60センチ角の正方形に書かれた書。今回は墨作りから取り組んだという。
白いベース(白とは限らないが)に墨で書くというイメージとはほど遠く
ほとんど墨色の世界である。塗り残しがわずかにかい間見える程度で、
筆を持って書くまでが長く、書き始めてしまえば墨が乾かないうちに
上から新たに墨を落としたり、書いたりする作業があるので時間はかからないと言う。
画面のエリアに納めるのではなく「いきいき」になっている部分
(はみ出している見えない部分)も彼女の世界であると言う。
だから会場の壁は漆黒なのだ。
個人的には以前の作品の方が好きである。
これを「書いた」のか「描いたのか」はさほどの問題ではない。
問題は、すべてがこじんまりとしていて、さほど「力」を感じないこと。
「絵力」…僕は「えぢから」と呼んでるが、ここにダイナミズムはない。
小さくまとまった感じ。いや、まとめましたの感じか。
だから尚更に「はみ出す必然」がこれほどに「書」にあるとは思えない。
効果的かという意味で…。
私感では作品のサイズに問題があったんではないかと感じたが。
おそらくはこのギャラリーに見合う作品にしたということか。

「書」は伝える象形が芸術に昇華したものと、勝手に狭い了見で決めつけている僕だが
「勿体ぶらない」ことをアートの部分的定義として喜びたい自分にとって
今回の「呼応」は思うほど僕自身に「呼応」してこなかったようだ。
次回に期待。

川尾2

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