うめきと叫びをその腐臭に替えて…「 朝井 章夫 展 ~ 循環2011 」

Category : 現代美術シッタカぶり
9月3日→9月17日【 galerie 16 】

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酸化した鉄?
ドブ?
およそギャラリーに似つかわしくない、
軽くツンと鼻にくるその腐臭が不穏な空気をそこはかとなく作る。
中央にある3つの並んだアクリル水槽。
この3つのケースには缶、ビン、
テレビのリモコン、自転車のパーツ、掃除機、
ママチャリの子ども用シート、鍋、電気部品などが
まるでホルマリンに浸かった標本のように
沈痛な面持ちでそこに居て我が身をさらしている。
液体は水道水である。
ああ、恥ずかしいだろうなぁ…かつての面差しも役割も義務もない。
作家が海にもぐって“採集”したこれらの“オブジェ(と化したもの)”は
決して溶けも隠れもしない。
周囲を囲むケースには塩。
この対比は見る者に或る痛みを妄想させる。

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海は空を映す。
その下に沈んでいる物など想起させないほどに
一見何事もないかのように、当たり前に風景としてそこにある。
しかし人は自分達が作り出した物を
“廃棄”する術を間違った方向で実行に移す場合がある。
間が刺したのだろうが
結果的は溶けること無く、厳然とそこに在るのだ。
多分永遠に近く。

中央の廃棄物の入ったアクリル水槽からパイプが伸びていて、
ギャラリーの両側の壁にあるオブジェに沿って、
天井を這いながら、小さなポンプで中の液体を循環させている。
水道水はやがて廃棄物から出る、酸化した成分やオイルなどで
日に日にその臭いを強くする。

これは見せしめに近い、作家の言う“痛みの記憶”だ。
壁と天井を這うポンプの役目を考えた時、
「浄化」という言葉がアタマに浮かぶが、どっこいこれは
そんなお人好しなものではない。
枯れ草を詰めた箱を見事にスルーしながらパイプを通る液体は
“非情”にも循環しているだけである。
ただ、ただ循環あるのみ…
これは悪意の結果であり、その無数の結果が
何を示しているかは言わずもがなである。
同時に「3.11」の、無情にも一切合切を破壊し、
押し流し、また揺り戻されたあの
想像を絶する画像を連想させるが、
このテーマは作家が追い求めてきたものでもあり、
直接的には関係ないとのことだ。

いずれにしても本来あってはならない沈殿物が
我が身を呈して訴えているものは
自然の中にある不自然さ、である。
戒めと言ってしまえば教条的になるが
このアクリル水槽に並々と注がれた水道水の表面に油が浮き、
臭いが放たれている静かに“進行”しているインスタレーションは
作家の言う「隠蔽され続けた痕跡を想起・顕現化し刻印し続ける」ことであり、
その行為を通して“生命の源”である、根源的な海と
繋がっているという事実である。

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