凝視する目とあなたが見る部分…「斉藤 寛写真展 unhair」

Category : 現代美術シッタカぶり
ノーヘア

3月10日→3月15日【立体ギャラリー射手座】

なぜ、ダメなのか?
なぜ、恐れるのか?
鏡の前で毎日浮かぶ疑問
喜劇と悲劇が入り交じる不平等な日常で
私たちの頭を覆っているのは、固められた価値観

アンチテーゼ
かみひとえの世界と相対する
(個展案内より原文)

ハゲである。
ただそれだけ。
ただそれだけのことである。
たったそれだけのことである。
しかし、同時にただならぬことである。
同時に、というのは相対する者のそれぞれの感情がもたらす
「固められた価値観」がただならなぬ雰囲気を醸し出すからだ。
会場に入ると、こちらに向かって凝視する目があり、
悲しい共通項がある。
諦めの目、拗ねた目、開き直った目、あるいは開き直り切れない目、
やがては無くなるであろう我が毛髪へのいとおしさにも似た
空虚で清潔な寂寥感。ただそれだけの写真である。
しかし、作者は誰も触ろうとしない「見て見ぬふり地雷」を
果敢にも写真で表現する。

作品ファイルをめくると、作者が探るテーマに
ぐんぐん惹かれていく自分がいた。
「縁々と~長男の肖像」
長男が嫌が応でも引き受けざる負えない有形無形の形。
財産、家業、墓守…
長男にもさまざまな趣向があり、
彼らが本家の仏壇の前で正面向いて座るシリーズ。
写真からにじみでる「見えない宿命」が一家の象徴である仏壇の前で、
もやもやと揺らぎ始める。
そこには頼りなげな「長男の気」が確かに薄く揺らいでいるのだ。

「NEVER LAND」
会社の自分のデスクに座ってラジコンカーを嬉々として操作する中年。
ガレージでドラムを叩く中年。
また、自分のデスクでレゴをいじる中年。
美容室のひけた後、店の片隅でフィギア作りに集中するオーナー。
「永遠のピーターパン」とは男子に与えられた称号(と苦笑)。

話を戻そう。
ハゲはハゲであって、それ以下でもそれ以上でもないが
持ち主(?)たる本人は日々、細やかに、デリケートに、
おのが頭への復刻と再生を切に願い、
「それが当たり前に在る人」には想像もつかない
「負」のエネルギーを消費し、消耗し、憔悴する。
人生で余計な部分である。
よく人は何かを失ってこそ得るものありと知ったことを言うが
こと、ここに限ってはあり得ない、得るものなど…。
大げさに言えば得たものは「恥辱」と「嘲笑」だ。

しかし、ここにいる彼らはわけのわからない
「笑い」も「力み」もなく、そこに在って、私をじっと見る。
私は…どうか? そうか、私も立派なハゲだったんだ。
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Comment

‘「恥辱」と「嘲笑」を得る’と思うことからくる顔の表情が 実は肝心v-219。素敵な方はおられます。と、思い始めたのは最近。 たとえば、宮崎県知事氏。 あの方は今、いい‘顔’をしておられます。素敵です。 

この展覧会(?)のテーマも実はこれですかね。写真の中の‘ハゲ’の方々の表情、それと、見る人の心に起こる感情。 へ、へ、へ、素人の素朴な感想ですけどね。 

→風さん

まさしく、おっしゃる通り。
向き合う二人(?)の間にある
「機微」がミソです。
要らんハンデを背負いつつ、歩く男の
後ろ姿も味のあるものです。
どうせなら「かっこいいハゲになれ!」を
モットーにこれからも生きてまいります、ハイ!

あの…
なぜ ハゲがいけないのでしょう。
なぜ ハンディなのでしょう。

あるがまま それで いいのでは?

→伊万里さん

否定ではなく、
15%の「特化した人」と認識しています。
選ばれし人、なーんちて…

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