行間の“奥”に見えるもの…「 田中 広幸 展 」

Category : 現代美術シッタカぶり
10月18日→10月29日【 galerie 16 】

書籍、そのほぼ全てを構成するのは紙と文字。
構造的に書籍というものを捉え、
また文字の持つ(特に日本語の)たおやかさを
いつも新鮮な驚きをもって僕たちに伝え、
また愉しく惑わせて?くれる田中さん。
田中さんの個展に足を運ぶ時の高揚感というのは
本が好きな僕にとっては格別の楽しみ。

過去ログはこちらへ↓
http://den393.blog81.fc2.com/blog-entry-211.html



さて、今回は2つのシリーズ。
ひとつは「木立の向こうの言語標本」と題された作品。
本文の文字列をランダムに縦に切り落とし、
白地の行間を樹木に見立てたもので、
奥に垣間見える文字と樹木の絶妙なバランス。
このたわいもない一冊の本から愉しい想像が生まれる。
一目見て、木と紙の関係もわかるし、
何よりもこの発想に驚かされる。
そのコンセプトは田中さんの中ではとりたててスペシャルというわけでもなく、
本を通して得る様々な発想の連鎖や階層の中のひとつに過ぎない。
そこに得も言われぬ心地よさと
危うさが感じられない安定感があるのだ。
一冊だけではどうしても汎用な、人が木と感じられる木になってしまうが
これだけあると木の表情、種類、季節と
それぞれに違った味わいが楽しめる。



もう一つは「のの字ばかりの寂光土」という作品。
本には本文が印刷されている紙と表紙の間に
見返しと呼ばれる紙が一枚ある。
表紙に貼付けてあるものは「効き紙」、最後の紙は「遊び」という。
この2枚を残して、全ての文中の「の」の字だけを抽出したもの。
ゲシュタルト崩壊寸前の「の」の字のオンパレである。
文字が何かに見えるというのは日本人が
漢字、ひらがな、カタカナを自在に、またごく当たり前に
生活文化の中で昇華し純化してきた中で
象形由来とは別の“視覚的要素”が含まれているからだろうと思う。
このタイトルは俳人である川端茅舎(かわばたぼうしゃ)
「ぜんまいののの字ばかりの寂光土」から発想されたもの。
この一句は言うまでもなく、
見事に読み手にシチュエーションを浮かび上がらせるが
面白いのはこうして三連譜のごとく「の」の字が並ぶ面白さ。
茅舎の兄は画家であり、茅舎も俳人になる前は洋画家を目指したという。
意味とは全く乖離したところのカタチとして
かつて画家を目指した茅舎が感じた感覚の純粋さにも心惹かれる。

そういえば「雪の朝 二の字二の字の下駄の跡」という
田捨女(でん・すてじょ)の俳句もありましたな。

スポンサーサイト

Comment

非公開コメント

58カ国語に翻訳
English
お越しいただきありがとうございます

den

………………………………………
アート・ドキュメント・ブック・
ミュージック・演劇・ダンス・
朗読・時事・ひがみ・そねみ・
やっかみ・おせっかい…
などなどシッタカぶって書きちらかしては
自己嫌悪な日々をゆらゆらと
過ごしております。
「シッタカブリアンの午睡」
「デラシネ光合成」をこのたび一本化。
言いたがり、やりたがり、ノリたがりな
のんのんとしたブログにお越しいただき
ありがとうございます。
………………………………………

ここから、また…
最近の書き散らかし…
こんなこと書いてます
こちらへもどうぞ!