置き忘れられた記憶…「伊賀上空見子個展 失われた時を求めて」

Category : 現代美術シッタカぶり
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伊賀上2

3月10日→3月15日【ギャラリー4 マロニエ】

愛想なく、取り残されたような残骸は
額縁であり、ドラム缶であり、枯れ木であり、部品にも見える。
何の説明もなく、このオブジェを見る限り
雨風にさらされて自らの素地をさらけ出した物質の
本来的な、ここから始まったという様な原初をひしひしと感じる。
まるで火災現場にある重要な証拠品のような
白手袋で扱わなければ、恫喝されるような
厳粛な品位というものも感じ取れる。
タイトルは「ベタ」な感じも否めないが、
彼女の作品への思いはこの言葉に尽きるのであろう。

いわゆる「用」を成す焼物は作ってこなかったと言う。
高校生の頃から、現在の作品に続くイメージを
すでに自らの中で構築していた。
枯れ木に見えるそれも実は、土の固まりから造形したものである。
この質感は…しばし感服していると
「このテクスチャーを出すのに、8年かかりました…」
全ての作品に共通する「時代」がついた表情は
彼女が頭の中で創造し、描いていたものを具現化したものであって
その辺にさらして、偶然できたものではない。
この作品の見所はそこにある。
焼物が焼物であること自体、長い時間を経た土が
この祝福の時を待ち、
人に、火に手をかけ、助けられて造形される。
作者はそこに、さらに早回しした「時」を焼き込んだのだ。

会場に置かれたこれらの作品を見た時
海辺に、砂浜の上にあったら、さらに
活き活きと(妙だが)見えたに違いないと確信した。
永遠にリピートされる波打ち際に、
悄然とたたずみ、悔いるように追想する時間(とき)の無常。

最後に訊いてみた。
「碗とか容れ物とかは作らないの?』
「そこにあるペン入れにした碗、最近作りました」
他の男臭い作風にあって、小さな机に置かれたそれだけが
ほのかな優しさをたたえたように思う。

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Comment

見てみたい。
その一言に つきます。

武蔵野国の作家さんとは違った切り口で、面白い。
自分の目で作品を見て 味わって 感じたい。
「物」を通して 心が遊べるのって いと おかし。。。
denさま いつも 面白い物 見せてくださって ありがとう。
感謝です。
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den

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