スクリューは外された…「 吉野 央子 作品展 どこへ向かうのか? 」

Category : 現代美術シッタカぶり
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6月5日→6月17日【 GALLERY SUZUKI 】

積み木な舟。
一見して、これは泥舟以下の体裁だ。
もっと言えば、確信犯的な舟(やはり船でなく舟)だ。
浮かぶことさえ諦めた舟、ないしは浮かぶ前提など元々無かった舟。
でも、舟のカタチとわかるということが、実は寂しくて悲しい。
内部は一応の“名目”をもって、まるで浮かばない舟の“言い訳”のように
“かすがい”状に仕組まれてはいるが、しかし至って無秩序で頼りない。
しかもスクリューはすでに隣の丸太をくり抜いた中に置かれている。
だからもう舟なんかじゃない。
これは先の大震災と大いに関係している作品、と
美術ライターに紹介されている。
今回はギャラリストにも作家さんにも会えてないから、
勝手な見方でシッタカぶってみる。
これは僕たちが安心だと思って乗っている舟なんではないだろうか。
それは日本という舟なのか…
嘘つきなレンガのように脆弱で、舟の態を成してはいるが
根拠の薄いまやかしの安全神話と傲慢さが
ここにひとつひとつ積み上げられているような気がする。

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作品はそう言われればそう見えてくるもので、
表面下での伏線や比喩を無理に汲み取らなくてもいいはずだ。
僕にとってはこの造形そのものがとても魅力的で
(ここがいいのだが)物語を紡ぐことができると感じられる。
それはこの作品のもつ「悲しげ」な面差しだ。
だからなんとも切なくなる。
日本があの大震災で「よもや」や「まさか」という語彙の
ここまでのあるまじき意味を痛感したことは
人々の心の歴史に深く残るはずだ。
それは同時に原発の「よもや」にも通じ、
さらに同時に供給する側、される側の「まさか」にも波及する。
僕たちは多分、“過信”の上に住んでいるのだ。
そう思うと、この舟は過信の化身では、などと
シッタカな韻を踏みたくもなるのだ。

どこへ向かうのか?という問いに明確に答えようとすると
それは絶望の意味を教えることにもなる。
それが今の日本のように思える。
必要であることのリスクと
無くなることのリスクを天秤にかけることは、そう容易ではない。
ただ覚悟というものが、ここへきて日本そのものが試されるための
重要なキーワードになることは確実だと思う。

吉野さんの作品は、吉野さんにとっては当たり前のことなんだろうけれど
きちんときれいに手をかけて作られている。
その気持ち良さ、心地よさがなおさらに
込められた思いを美しく作品に表出させる大きな力になっている。

スクリューのない日本。
不安に揺れながら、その決断が正しいのか、そうでないのか、
非力な人民もまた揺れながら動向を見守るしかない。

吉野さんの過去ログ

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6月5日→6月17日【 GALLERY SUZUKI 】積み木な舟。一見して、これは泥舟以下の体裁だ。もっと言えば、確信犯的な舟(やはり船でなく舟)だ。浮かぶことさえ諦めた舟、ないしは浮かぶ前提な...
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