こんなにも細くて重いもの …「 発散する点・足高 寛美 展 」

Category : 現代美術シッタカぶり


2012. 07/03 → 07/15【 Gallery PARC 】

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2012. 07/03 → 07/15【 Gallery PARC 】

足高さんの作品は何回見ても気圧される。
僕たちはひょっとしたら「髪」に髪以上の何かを、
例えば気配のようなものや厳然と存在した痕跡、
間違いなく肉体の一部であるというリアルな受けとめ方をしている。

高橋涼子さんという方も髪を素材とした現代美術作家として知られているが
アプローチの仕方は足高さんとは違っていてとても興味深い。

ファイバーアートとして本来的な「編む」「織る」といった行為、手法を
髪を素材にしてみるとこれほどに生々しくなるのは想像に堅くないにせよ、
その実物感は中々のものである。
特徴的なのはかぎ針で編むことによる「髪のレース編作品」にとどまらず、
編まれた造形が象徴的な図を構成し、まるでタブローのようにさえ見えることである。
つまり線画を描くうえで画材をどうするかという選択の中に
髪に含まれる有機的なニュアンス、生体が死へ至る過程や成り立ちに
実に日本人の観念に添うミステリアスな要素を加えたと言えるのではないか。
壁にかかる多くの作品は台紙に接着されたものではない。
他の作品を見てもわかるように編まれた部分の密と
自由に、いわばそれぞれの髪質によるよじれやねじれを自由に
解き放している部分の疎が一つの作品を形成している。
作為とはほど遠い成り行き任せの形状、というのか。

髪は女性(ほとんどの人がそうイメージする)の性を否が応でも喚起させる。
一度肉体から放たれた髪は有機→無機の間を挟みで切り離されたスピードよりも
はるかに遅い速度で緩やかにシフトするように思えてならない。
そうした“カットされた髪”が尚も強烈に主張するのは
それが髪であるからであって、かつては栄養を取り込みながら
伸び続けて行くという宿命のもと、
女性(もちろん男性も)にとっての“表層的”自己スタイルを決定する
重要なファクターであることは確かであろう。
かつて見たコンクリート打ちっぱなしの広く強い気を漂わせていたギャラリーでも
圧倒的に体積が小さい足高さんの作品は
凛としていて、天晴と感嘆したことを思い出す。
こんなにも細いのに、こんなにも心の中に深く重いものを訴える。

編むという行為はスパイラルな軌跡を残して行く。
足高さんの言う「かつては星の欠片で今の生命ができている。
それはやがて土に還りまた別の生命体になる」というくだりが
その「図」に始点と終点を作りながら一つの円、環を構成し、
常に循環する「生きとし生けるもの」全てへのオマージュとして
捧げられているようにも見えるのだ。

過去ログ → http://den393.blog81.fc2.com/blog-entry-387.html


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