その温度、その色彩、その物腰、そしてその光景の中に佇む…「 中小路 萌美 | それがあるような気がしてる 」

Category : 現代美術シッタカぶり
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7月31日→8月5日【 GALLERY SUZUKI 】

最近、人の名前が覚えにくくなったきた。
必ず二度訊くことになっている。それだけ不安だから。
そしてもう一つ。
名も知らぬ、しかし見たことがある人に
とんでもない場所で遭遇することが最近多い。
もちろん相手はシッタカなど知ったこっちゃない、が。
つまり顔(ビジュアル)と名前とを一致して覚えようとする能力は
確実に落ちているのに、こと絵画やオブジェ(造形的にとらえる人の顔も)に関しては
その印象は記憶の底にとどまっていていくれる。
但し申し訳ないが名前に関してはどうも心もとない。

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今回の中小路さんの作品。
絵からの“温度と物腰”に既視感のようなものを受ける。
作品のファイルを拝見して、ハッと思い立つ。
昨年の京都造形芸術大学&大学院の卒展でとても印象に残った作品。
その時の作品は→ http://den393.blog81.fc2.com/blog-entry-576.html
学内での卒展だが個展のような環境で展示されていた中小路さんの作品は
エッジは温かく混ざり合い、色彩はマイルドで、
画面構成は微妙に洒脱さを含み、ポエティックであった。
そこだけ不思議な香りをたたえていた。

それにしても個展廻りをしていてつくづく思うのは
皆さんの色彩感覚が一様に優れていることだ。
もちろん絵画を勉強されているから当然と言えば当然だが
詰まる所、場違えな色使いはシッタカのような素人でもわかる。
この場合の「場違え」とは、作家が自身のスタンス、画風に則した、
最も“適切な色”を用いるという意味で、そぐわない色使いのことである。
特に感心するのはその混合センスというべき、
“名前のつかない色”を創作する能力だ。
どこかで見た景色の断片が中小路さんの中で組み上げられ、
拡大矮小されながら、絶妙な色彩の重なりによって
見る者に観念的な風景を思い起させる。
そして、それは決して甘くならない。
ファンシーにならないで淡々とあるべき姿を示す。
これは相当なものだと思う。
で、作家に質問してみると、
「実は色使いに関してはむしろ苦手だった」
という耳を疑うような以外な答えが返ってきた。
「あるべき色」つまり適正な色彩というのは
勿論保守的な、最大公約的な色彩配分を差すものではない。
色彩選択というのはジャンルによって大きく変わるということである。
かつてシッタカがアパレル展示会などへのプレゼンで
先方のカラーチップの選択に感心した覚えがあって、
テキスタイルに限らず各分野にはそれぞれにふさわしい色彩感覚があって
ひとりよがりなグラフィックデザイナーが
どうのこうのといえる話ではなかった。

中小路さんは、そんな「色」に対するウイークポイントを
テキスタイルを通して克服したようだ。
こういうハードルはどこまでいっても作家が「個」として
想定するものだから、やはり絵描きさんは孤独であり、
目指すは孤高である。

自分の世界を示しながら観客がそれに呼応し、
共感や感動を抱く。
そしてその絵はさらなる価値を与えられる。
これからが存分に期待される作家さんである。

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