目を泳がせる “ケミカルな点描”…「 とどまり ゆらめく Keeping : moving 藤永 覚耶 」

Category : 現代美術シッタカぶり
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7月31日→8月12日【 Gallery PARC 】

“思い出している”最中は残像をトレースしながら
“あの時やその時”のリアリティを呼び起こそうとしている。
匂いや触感は残っていても、
待てども像が結ばれないピンボケな思い出もあったりする。

写真の“醍醐味”の一つにピントがある。
ピントは必ずしも“合わす”ためにあるものでもない、と考えると
俄然面白くなってくる。
クリアであることの美しさというのは
あくまで「到達」するための結果であって、
それが対象物のプロフィールを全て言い当てているとは限らない。
その意味で言えば「反写真的な写真」というものの
リアルさが浮かび上がってくる。
表現手段のひとつとして「写真」があるとすると、
では、写真に託された役割、写真家にとっての仕事とは何なのだろうか。
人間の目も素晴らしいがやはりそこには限界があるのだ。
決して目の代わりをするのではない、
目が見えなかったものを映す……そんなことを考える。

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↑外光によって表情が変化する。


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↑このゆらぎがなんともいえない。色々なものに見えて来る!



藤永さんの作品はそんなテーマについて
観客を試すような、あるいは惑わすような、
そう、“目が泳ぐ”とでも形容したらいいのか、
一様に微かなとまどいを心に灯すのだ。
それは確かに「不鮮明」であることについて
観客が“探り”を入れているからに他ならない。
そして探りを入れている間に、もう作品に引き込まれている。

しかし、この作品の“出来映え”に感嘆し、
制作過程を「知って、得心して、ギャラリーを去る」という
類いのものでは決して無い。
作家である藤永さんが綿密に練った計画を
余す所無く現実化した、まぎれもないミッションである。
藤永さんご自身と写真という表現手段の間に
当然割り込んでくる“悩ましいスパン”についての表明が
これらの作品に、静かにだが深く流れている。

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素材となる対象を写真に撮る。
それをベースに布地にアルコール染料インクで丁寧に点描し、
この“点々”だらけの図像になんと溶剤を流し込みインクを
溶かしてしまうというプロセスを聞くにつけ、
何よりも発想の柔軟さに驚かされる。
アルコール染料、わかりやすく言えばマーカーだ。
作家はブレンドしながらオリジナルな色を作っていく。
ブレンドできるということにも驚いたが、
藤永さんが仰っていた「手の届かない部分」、
つまり作家の思うツボには決してハマらない
「ケミカルな動勢」に作品をゆだねるというところがなんとも潔い。

先のピントの話ではないが、藤永さんは
「ピントがクリアである箇所よりもボケやブレにリアリティを感じる。
それは再現的なリアルではなく、個人の先入観や価値観をぬぐい去った
等価な世界に立ち戻るような真実味を持った感覚だ」と言う。

モノの正体を見抜く様なリアルさとは別の感覚、ではないか、などと
シッタカぶるのである。





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