平和賞とオリンピック。

Category : 浮世の「うっ!」
この23日の京都新聞の「現代のことば」に興味深い意見が載せられていた。
京大教授・国際政治学の中西寛氏の
オリンピック、ノーベル賞についての記事である。

ここでのノーベル賞とオリンピックは何もこじつけられて、
記事にネタにされたわけではない。

落選した東京(何万人の都民が胸をなでおろしたことだろう)はともかく
オバマ受賞に刺激を受けたか、深刻な財政状況にもかかわらず
“理性”と“理念”だけで共同開催なんていう「掟破り」な提案をした広島と長崎。
北京を見てどう思われました?
もはやオリンピックはショー以外の何ものでもない。
あれなどは国威を示すためなら、なり振り構わぬという
見苦しい舞台裏も明らかになった。
そして利権をめぐる巨額のマネー。
過去にも、やれ会長がどうとか、
ワイロがどうとか取りざたされてきた「平和の祭典」である。

科学の進歩は明らかにスポーツのジャンルを変革して(しまった)
信じられないレコードを量産し、もう身体能力の基準値がどこにあるのかさえ疑問だ。
オリンピックに政治を持ち込まないなんて言ってるのは
おめでたい体育系思想の理想主義者が考えることで
過去に(悲惨な)テロも、(みんなでせぇーのの)ボイコットもあったではないか。
選手はそれぞれの得意競技での世界大会の方が自分にとって“価値”あるもので
国の代表になって、軽く「楽しみたい」なんて言うとボロカスに言われる。
超人でも、だ。
お国の代表は本人以上の期待を背負わされて送り出される。
何言ったっていいじゃぁないか。やるのは本人なんだから…。

平和運動に誠心誠意寄与し、インターナショナルな同意や共感を得ることは
並大抵のことではない。オバマ大統領に関しては何をか言わんやである。
ノーベル平和賞は過去一年間にふさわしい役割を果たした人物、団体に与えられる。
該当者がなかったら、授与すべきでない。賞金を他にまわした方が理にかなう。

中西氏は、19世紀末のヨーロッパの楽観的な進歩主義の産物であり、
科学や平和運動、スポーツを通じた国際交流こそ
世界平和の実現に結びつくという素朴な理念が発端であった
ノーベル賞やオリンピックが、今人類にとってどのような意味を持つのかと問う。

制定されてから世界は二度の大戦、独裁者をつくり、
おぞましい核兵器をつくり、被爆国をつくり、大量の死者をつくり、
宗教、文化を踏みにじり、そして報復もつくった。
理想主義だけでは世界は変えられないことを嫌というほど知ったのだ。

ノーベル賞やオリンピックはその間も、粛々と行われている。
リアル…リアル…リアル…。

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