トノバン…。

Category : 追悼…
とのばん

北山修が京都新聞に追悼文を寄せている。
「加藤和彦は二人いた。
一人は舞台で演奏し、レコーディングし、作曲する音楽家としての彼。
もう一人はそれを冷静に批評する彼。とても自分に厳しい人だった。
舞台でも楽屋でスタッフをどなりちらすという意外な一面もあった。
とにかく音楽が好きで一日中ギターを弾いていた。
メンバーの誰が死んでも葬式には帰ってきたヨッパライかけようよ、なんて
お互い笑って言っていたけど、もう悪い冗談になってしまった…」

ミュージシャンとしての自分に許せなかった部分はどこにあったのか。
「やることが無くなった…」
もっと楽になれば、もっと鷹揚になれば良かったのに、と思う。

「加藤和彦の世界」という彼の作曲したものをほぼ完璧に網羅したと
思われるコアなファンによるサイトを見ると
ただただ驚くほかない。

フォーク、歌謡曲、映画音楽、舞台音楽、そして自らのバンド。
作詞家を見ると時代の趨勢がわかる。
安井かずみ、松山猛、阿久悠、秋元康、森雪之丞…
スーパー歌舞伎も世間を驚かせた。

そして小学生だった少年は20才になる。
小学生でビートルズのホワイトアルバム、
中学生でレッド・ゼッペリン、
高校でブルースに出会い、
その後ジャズを知った彼の耳に
フラワートラヴェリンバンドの「SATORI」と並んで
サディスティック・ミカバンドの「黒船」が衝撃的に登場する。
「はっぴえんど」とはまた異相のポジションに居る
このバンドのクオリティの高さはやはりトノバンのセンスなくしては
有り得なかった。

自分自身に苦悩する…
芸術家としての加藤和彦が許し得なかった自分とは…

一発屋でありながら夫婦でバラエティに出まくり
布教活動に精を出すどこぞのタレントよ、
今でも“ミュージシャン”を名のるなら自分自身と向き合いながら
日々研鑽し、精進しなさい。

亡くならなくてもよい人がこうして目の前から消えていく悲しさ、
それは彼の音楽が大好きな人達が数え切れないほど居たということ。
見えないゴールが常に遠くにあったのだ。
高いハードルが次から次へと彼を待ち受けていたのだ。
彼の厳しすぎる“妄想”の中で…。

京都で産声をあげたトノバン・ミュージックよ、永遠なれ。

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