「 Trip 」衣笠 泰介

Category : 現代美術シッタカぶり
2013.4.9 → 4.14【 Gallery SUZUKI 】

「一瞬で視点を決める『視覚哲学』があり…」
東山・何必館で開催中の写真家ブレッソンについての館長の解説を見て、
衣笠泰介さんの絵を見て、言葉にできなかった言葉って
これかも知れないなとふと思った。
その描きっぷりの良さを「哲学」となぞらえるのはなんだかもどかしいのだが、
彼の眼前にお出ましになる風景は瞬時にして
彼の、そう“衣笠アイ”と呼べるスコープを通して
見たこともない光景となって再び僕たちの視野によみがえる。
画家を評する時に使われる「天性」という言葉が
もう彼の絵の前ではなんと陳腐にさえ聞こえることか。
ギャラリーの南向きの大きなガラスを隔てた「彼の色彩」は
例えば天真爛漫とか天衣無縫とかの修飾された表現では
表しきれない、まるで何がしかの魔法にかかったかのような
新鮮な驚きをもって登場する。
それはもう見た者が嫉妬するほどに潔い。
例えば絵を見られることを前提に描くのか、
心の赴くままに描くのか、などという野暮な理屈ではなく、
やはり彼の目と絵筆を持つ手とがあまりにダイレクトに直結していて、
もはや感情という実にややこしい過程すら
入り込んでこないほどに「彼だけの解釈」による絵が
下絵もなしに一気に描きだされていくのだ。
あざとさが微塵もない画家など果たしているのだろうか、などと
改めて考える必要もなく、ここに居るのだということを
生身の作品を前にして確信する。
展覧会で見た胡蝶蘭を描いてみなさいと言われて、
これだけの色彩で描ききる画家はそうは居ない。
おおよそ白い花でも描くのかという予想は見事に裏切られる。
となると、もう被写体としての胡蝶蘭などは無意味な存在にさえなる。
そこにあるのは生きとし生けるものの命の色、燃え行く色である。
私にこんな才能があったのなら、などと思うものなら
残念ながら、すでにその時点でアウトなのだろう。
望もうと思って手に入れた才能ではなく、
彼が元々持っていた感覚であるからこそ、
こんなにも見る者を幸せにしてくれるのだろう。
凹んだ時に見るがいい、なんてくだらないことで
君は悩んでいるんだい、とでも言いたげな色の祝宴である。
彼の、光を色に変換するセンスは正に
本来の意味であるところの「物事の微妙な感じをさとる感覚」である。

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↑「アンコールワットへ行きました」

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↑「沖縄、いろんな三線があるな」

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↑「ベルヴェデーレ宮殿でクリムトを見る」

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↑「アンコール、トム!」

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↑「ブタペストで、温泉プールに行きます」

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↑「丘の上でシカがボクシングをしている」

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↑「ひまわりに蝶がとまっている」






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