KAC Performing Arts Program 2013/Contemporary Dance 「 Weightless Days 」

Category : パフォーマンス見聞
2013.5.31 → 6.2【 京都芸術センター ギャラリー北・南 】
構成・振付・出演:ヤザキタケシ 松本芽紅見
構成・映像・グラフィック・サウンド:アンジェラ・デタニコ、ラファエル・ライン

プレスリリースが届き、グラフィック・アートとコンテンポラリーダンスの
コラボレーション作品と聞いて、俄然色めき立つのは
長年グラフィックデザインの世界に身を置いていたからに他ならない。
なんとなく血が騒ぐというか、縁遠くなった世界への憧憬のようなものが
無意識にあったのかも知れない。

しかし、惜しむらくは、惜しむらくは、と二度、深い嘆息をつく…

なんでも2004年から共同創作が続いているこの作品。
前回の舞台写真がフライヤーやその他の紹介記事の中で使われていて、
僕などはほとんど、この強烈なビジュアルにとらわれてしまい、
今回との大いなるギャップに、二度、いや三度の嘆息をつく羽目になった。

京都芸術センターのギャラリー2カ所で、観客は入場の際に
どちらかを選ばなければならず、これが最初のとまどいとなった。
二人のダンサーが2カ所を往復しながらパフォーマンスを行うというそのものは
発想としても、またそうせざる得ない状況での策としても
面白い(これを画期的などと言わないでいただきたい)だろうが、
片方を観ている人にとっては全く預かり知らぬことである。
問題は構成そのものよりも内容なのだから。
ダンサーのポテンシャルは勿論言うに及ばず(凄い)だが、
彼らの後ろでスクロールされる映像、これが実にいただけない。
前回の黒いバックに投影された光が
予想できない影を生み、そのシルエットとダンサーの相乗効果というものを
この目で観られなかったことが悔やまれるほどに…
それはエッジの効いた強いコントラストが、そのまま視覚的力となるからである。
しかし今回は床も天井も壁も白いから
当のダンサーはスクリーンの一部としか認識されない。
それも映像は上下スクロールのみで、
「先を行く観客」にはもどかしさばかりがつのる。
二会場を行ったり来たりするのは、そちらの勝手であって、
“向こう側”へ行っている間にこちら側は待ちぼうけを食わされる。
のめり込むような映像ならともかく、至って凡庸な、
学生の映像作品の方がよほど出来が良いといってよいほどに
アプローチの仕方が古い。
会場全体に「退屈」の二文字が浮遊していた(ような気がする)
それなら他会場の模様をモザイクでもかけて同時に放映してほしかった。
これで初めて観客は裏表をその目で確認することができる。
おまけに感心しないのが音楽。
予想を裏切らない構成はまずはダンサーの“安全”を担保にしたようで
僕としては気に入らなかった。
アンビエントでもエレクトロであっても、
“この手”の“思わせぶりな”音楽には辟易しているんではないのかな。
もっと緻密に、そしてもっと大胆に展開して欲しかった。
ダンサーが“上手に”踊るであろうことに多大は期待は要らないと思う。
これは視覚要素としての化学反応が、
どう上手く観客に指し示すことができたか否かの問題である。
テーマがどれだけ人の心に入り込んだか、にかかる。
もっと冒険して、もっと革新的に、
もっと毛穴が目一杯に広がる様なコラボにしてください。
もっと可能性を探ってください。
もっと“楽しませる”ことを考えてください。
まだまだ余地はあるのではないか。
このまま、フランス、ポルトガル、ブラジルと公演する前に
もう一度、練り直す余地が。

観た後に、身びいきではないが
「冨士山アネット」の構成力と演出力に改めて感じ入ったのは
こういう“思わせぶりな”作品があるからであろうと勝手に思ったりする。
それだけ、難しいのだろう。

惜しむらくは、惜しむらくは…とまた…。

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