「 あかるい場所まで 」劇研アクターズラボ+烏丸ストロークロック ハナレズ第三回公演

Category : パフォーマンス見聞
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7/13〜7/15【 アトリエ劇研 】

「京都から消えていったもの」というお題でメンバーそれぞれが
それぞれに引っさげたものを劇研の舞台で、
しかも友人を観客としてお披露目するという話しは
ブログやなんかで知ってはいましたが、
YouTubeで公開するとは思わなかったのでその時は正直びっくりでした。
もちろん今では検索をかけても見ることはできませんが、
その頃、見ているこちらが何ともいえぬ心持ちになったことは覚えています。
そんな各自が持ち寄った古き京都のエピソードの中から
「しやんくれーる←→高野悦子」とも言う題材、そう事実ですね、これは、
つまり僕の世代にとっても彼女にまつわる話しについてはことに希薄であり、
もはや団塊が知るところのみとなっているこの“こと”、そう「伝説」について
ハナレズの第三回目の、三年目の、最終年の公演が果敢に取り上げた、
そのことにまず驚いたと同時に心中ややとまどいがありました。
メンバーは学生運動なんてもちろん知りません。
彼らの親が何らかの形で関係していたら…
うーん…実はもっとややこしかったかも知れませんねぇ。

学生運動とは何だったのか?
僕はハナレズのメンバーの一人から問われて「空しい祭り」と答えました。
でも僕も学生、それも中学生の頃から家で学校で、空しい祭りを繰り返してきました。
それは誰かへの抵抗であり、しかしその「誰か ≒ 体制」だなんて思ったことはありませんでした。
そんなこと自体が己の未熟さを露呈してしまうんではないかと感じていたからです。
あんな大人よりももっと賢くならなければならないと強く念じていました。
中学生の時に友人と学校をサボって飯田橋まで行って
機動隊と学生の小競り合いをホームから凝視していたことをいまだに思い出します。
そして機動隊の放った催涙弾が当時ホームにいた人たちをも
涙目にして、僕たちは絶えきれずに電車に乗ってすごすごと帰ったのです。
一体、僕は誰を、何を見に来ていたんだろう…
今、あの頃を振り返ると、その置き去りにした足跡のようなものが
僕を追いかけながら、僕へ問いかけるのです。
ヘルとタオルと角材と、そしてあの独特のシュプレヒコールとフランスデモと。
生々しい封鎖の状況に、想像として我が身を置いて、
結局、シミュレーションして楽しんでいただけかも知れません。
そしてその次に来る感覚はとても現実的でした。
「親の金で大学行かせてもらって何が闘争勝利だ、体制批判だ」という
僕にしては結構リアルな主張も含まれていました。
元を正せば大学側と学生との間がこじれてそこへ学校側が機動隊を要請したこと、
つまりは学校が国家権力によって抑制されるという、当時では有り得ない状況が
「見えやすい構図」となって、さてでは敵対するものは何かということについて
どんどん一人歩きし始めるわけですね。

僕が高校生の頃、民青(民主青年同盟)に属していた生徒が何人かいました。
彼とは仲もそこそこ良かったのですが、政治の話は一切出て来ませんでした。
オルグと捉えられることがまずかったのか、どうかは今となっては知る由もないのですが。
対抗勢力からは「民コロ」と揶揄されていた彼らですが、
その組織力は相当なものだったと聞かされていました。

僕はと言えば、先にも書いたようにただのミーハーでした。
家も学校も嫌で、若気ながらの厭世的な気分に浸り切っていた僕は
学生同士が内ゲバで傷つき、リンチのあげくに殺されていくといった感じと
授業も試験もなく、教室を封鎖しているその呑気さと
そして自分を覆っている現実に相当のギャップを感じていました。
だからミーハー→共感→参加という時系列には至らなかったのです。

高野悦子さんの「二十歳の原点」は多分、当時の若者が抱いていた
行き場の無い、どん詰まりのやり切れなさと、
それでいてかなり欲物な部分も人として持ち合わせているということ、
言い換えればストイックに成り切ることのできない弱さの
理想と選択と立場とのせめぎ合いの様相そのもの、
そしてどこまでが真摯でどこまでがインチキなのかを
結局開き直れないままに自ら閉じてしまった彼女の
“当たり前”な苦悩が多くの読者を作ったのかも知れません。

この芝居は、唐突に見てわかるという類いのものではありません。
学生運動をそれこそ若気の至りと自己完結して、
あんな自分も居たっけ、とつぶやく人も
当時ノンポリで一切関係を持たなかった人も
親から見知った数少ない情報
(というのも結局はイデオロギーをどう理論武装して抑えにかけるか、
もしくは平たく捉えれば暴力という手段を高じてどう具体化するかということです)

今の世の中からすると何とも物騒で、当然暴徒化する学生も居たでしょうし、
そこに自己が抱えるストレスをぶちまけていた人も居たはずです。
そして、祭りは終りました。
その終息感はミーハーではあるもののフォロワーズとして
彼らに何事かを期待した僕にとっては、正に気の抜ける様な顛末でした。

ここまで書いて芝居のことに何も触れていないことに気付きました…あらあら…
ハナレズとしては最後の公演となる今回は
ヘタレのために1年目で降板した僕にとっては特別な感慨がありました。
でもメンバーの感じでは例年のような“したらなさと悔しさ”を残しつつも、
次へ向かうという雰囲気から、
最後であるというある種の覚悟のようなものがあって
なんだか清々しい感じもしました。
個人的な悩みから、或る女子学生、そして高野悦子へとオーバーラップしながら
端的ではありすぎる嫌いはあるものの
わかりやすく往事の「学生運動」の“掴みきれなかった実感”というものも
伝わってきました。
柳沼さんが必ずといってよいほど用意する“仕掛け”は
多分裏方(これもメンバーですが)泣かせだろうなぁと…
そんな風に自分があの舞台に立ってハナレズの一員として
それなりに演じていた頃を思い出したりもしました。
てっきり、あの唯一無比の「タテカンフォント」が
登場すると思いきや、それが無かったのがちょっと残念。
(書ける人も今やいないでしょう…)
でもそこへ観客の目が行き過ぎることも憂慮されてのことでしょうか。

ハナレズのメンバーの今後についての楽しみも新たに出て来ました。
彼らにはまたどこかで、必ず会えると思います。

※画像はハナレズのブログよりお借りしました。
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