「 ベバリー・アリング-スミス Beverly Ayling-Smith 個展 」

Category : 現代美術シッタカぶり
2013. 9/28 → 10/12 【 GALLERYGALLERY+EX 】

先日、田口ランディの「根をもつこと、翼をもつこと」を読んでいて、
「死のなかにある命」という章に、自称「世界一元気な被爆者」という(2001年の時点で)
70歳になるKさんという方とのやりとりがあります。

「死って何なんでしょうか。なんだかいろんなことがわからなくなってきました。
考えてみたら、被爆した人も、そうでない人も100年も経てばみんな死んでしまうんですよね。
100年後には、多かれ少なかれ今を行きている人間はいなくなる。
そんなちっぽけな存在なんですよね」
「死なない方がいいと思いますか?」とKさん。
「どうだろう、ずっと人間が生き続けたら、地球は破裂してしまうし」
「死は生命が選択したことです。だから心で答えを出すことはできないでしょう」
うすうす感じていたことをKさんに言い当てられた。
「そうなんでしょうか」
「そうです。生命は死を選んだんです。それは永遠の連鎖のためです。
人間の心が選択したわけではない。心は死について知りません。
だからいたずらに不老不死を望んだりする。
でも、もし人間が永遠に生きるほど強い種なら、自らを増殖させていけばいいだけです。
多様化する必要はありませんでしょう」
「ガン細胞のようにですか?」
「そうですね、みんな同じで永遠に生きればいいのです」
「死んで行くから命が連鎖する……」
「そうですよ、死のなかに命があるんです。
そのような方法を、生命の起源において選択したんです。
だから死と生は一対なんです」

長い引用になってしまいました。
Kさんならではの達観した感覚なのか、これが生と死についての普遍性なのかはともかく、
死者が自らの死を自覚することを生者に伝えることはできません。
死という「成り行き」のみが“残された”(この表現は実はとても重いような気がします)
生者にただただ“遺される”のです。
だいぶ前にここで安楽死のことをアップしました。
とても一回では書ききれないので、続きを約束したにも関わらず,結局書けませんでした。
生者としての「夫」が、安楽死を選ぶ「死に行く妻」の尊厳やその自己決定への
とまどいが新聞に掲載されて思わずアップしたのですが、
結局のところ、僕も一介の「死の自覚も認識も持てない」人間だとわかって、
とてもおこがましくて、そのままになっています。

事故死、自殺、殺人による死…
僕はターミナルと呼ばれる人生の終末期を迎えようとしている方たちのケアを
させていただく環境にあります。
同じエッセイの中でランディさんが
友人の森達也監督との会話の中で軽い衝撃を受けたのが、
オウム真理教のサティアンのいたるところに貼ってある標語です。

「人は死ぬ、いつか死ぬ、絶対死ぬ」

数々のドキュメンタリーを撮ってこられている森さんは言います。
「うん、それを(この標語を)日常的にみんな見ているわけだよね。それはある意味で、
今を生きるということと直結している。僕はサティアンの中の日常のすべてを否定しようとは
思わない。『人は死ぬ、いつか死ぬ、絶対死ぬ』それは僕らがなるべく見ないで生きていこうと
していることだけど、それを見ないで生きることが本当に生きていることなのか……。
死というのは、社会のなかでもっとも見つめていかないといけないテーマだと思うんだけどね」

この本はあの9.11直後に発刊されています。
それについての記述はありませんが、あの“こと”依頼、
表現者たちが成す術を持てない自分について、
寡黙になり、暗澹とし、愕然とうなだれた首を元に戻すために相当の時間を費やしました。

なんだか現代美術の展評になってませんが、
これらの作品を見ていて家へ帰ってから、死についていろいろと考えてしまいました。

最後に作者のベバリー・アリングースミスさんについてのコメントを転載します。

べバリー アリング スミスは、喪に対する悲しみやふさぎ込みといった
感情的な状態を追求して作品を制作する作家です。
多くは段階のあるこの悲しみの複雑な状態、私たちは、
死者についての感情を整理するためにこの悲しみを通過しなければなりません。
それは愛するものの喪失を認識し、受ける事を意味します。
そしてその感情をのりこえて、私たちのこれからの人生を生きていけるようにと。
印をつけられ、着色され、再生されたテキスタイルを表現する事によって、
精神的な苦しみを呼び起こし、哀悼の強い感情と結びつきます。
哀悼、ふさぎ込み、悲しみ。
これらの感情を私たちは人生を通して経験し、
永久に私たちの記憶に刻み込まれていきます。
この全てが、布をという媒介を通じて感じるのです。
スミスの作品は、それを見る人の哀悼の念と結びつき、
そしてこの哀悼を解消していくために、
布がいかに使われているかを探求しているのであります。

CIMG9854.jpg

幼い娘を亡くした思いが時間とともに変化していく様を表したものです。
子ども服のシルエットが徐々にですが、消えていく…喪失の認識と受容…
そのアップです。アミダのような縦横のラインは3年前に作家が来日した折に
僧の袈裟を見て取り入れたものだそうです。

B1.jpg

B2.jpg

B3_20131008184235557.jpg

B4.jpg


CIMG9850.jpg

棺にかける布を同じ大きさのものに花びらが縫い付けてあります。
アップはこちら。

CIMG9851.jpg

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