「 かぎろいの輪郭 〜 Silhouettes in Evanescence 〜 田中 真吾 個展 」

Category : 現代美術シッタカぶり
2013.10.04→10.27

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田中さんは「火」を画材に選んでいます。
ここで画材と言い切ってしまうと、
それを聞いた人は多分いろいろなイマジネーションをもって
田中さんの作品を想像すると思います。
だから火が画材であるという言い方は、岩絵具やアクリルといった“材質”というよりも
“方法”・手段”として使っていると言った方がいいのかも知れません。
それは単に「絵具」が何であるかという事以前にとても重要なことで
火を使うということは誰かしらがコントロールしなければいけないということになります。
いわば、火=炎を制御しながら描くということで、
これを田中さんは「理性的な火」と呼んでいます。
ところがこの理性的であるはずの火と言うのは、その歴史もさることながら
人の気持ちを喚起させる力が相当にあって、
僕たちはそこに不思議なことに戦いのイメージと同時に
平安な心持ちも重ね合わせたりします。

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前回のここ、eNartsでの「繋ぎとめる/零れおちる」から1年。
僕はこの個展を見た時のショックをいまだに思い出します。
この時の感想は過去ログでアップされたそのままです。
そして今回。
明らかに田中さんの作風に変化が起こっていました。
「火=炎」がもたらす「動」のイメージそのものが制御され、
さらに炎が作り出す「煤」が鑑賞者と作者を媒介している気がします。
ここにあるのはあくまで火の痕跡です。
しかし前回の猛々しさや、ややもすると不穏な火の「行方」が
ここではもっと深化し、また違う意味での儚さが表現されています。

火を使って作品を作るということは
平たく申せば、あるいは陶芸や彫刻、ガラス工芸と同じような
向き合い方でもあると言えます。
それらが結果として火によって造形されることを考えれば、
これらの作品が決して奇をてらったものでも、唐突でもないことは
それこそ「火」を見るより明らかです。
しかし火をそこに連想し(実際火そのものなのですが)目の当たりにすることで
そのエキセントリックな創作性ばかりに着目されがちであることも
また事実かと思います。
これらの作品がどう変化し,変容していったかを知る大きな機会に
出会えたことに、やはりうなずくシッタカでした。

煤。
このそれこそ「微塵」な存在が
しっかりとここに写しとられ、そこに、それこそ“幾許(いくばく)かの”
機微が表れていることにやはり、田中さんの素晴らしさを感じます。

今回は半立体作品も展示されています。
廃材を組み合わせ、火を放ち、さらにペインティングが施されています。
それは一つのタブローとして、それもかつて「動き、揺らめいていた炎」を
しっかりと遺しながら、新しい命が吹き込まれています。

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火というあまりに強烈なエネルギーを放出する要素を選んだことは
どのような展開を見せてくれるのかという勝手な期待をも抱かせるに充分な
作家の強い意志をひしひしと感じます。

この展覧会が終ってすでに半月が経ってしまいました。
こんなに遅くなったのは個人的なスケジュールもさることながら、
これだけインパクトのある作品をやはり言葉にすることの
歯痒さ、難しさからでした。
でもこういう作品に出会えるからこそ、この拙いブログも続けられるというものです。

ちなみに「かぎろい」とは「陽炎」と書き「かげろう・ほのお」のことです。

田中さんの過去ログ↓
http://den393.blog81.fc2.com/blog-entry-799.html

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