「 35°0' 31.7" N 135 °45' 58.74" E 〜 国谷 隆志 展 」

Category : 現代美術シッタカぶり
2013.11.15〜12.01【 Gallery PARC 】

何処かに居る自分 ≒ その自分を取り巻く世界。
その検証過程を可視化するための表現に心砕く芸術家たち。
主観としての自己と、客観としての自己との軽妙な差異。
タイトルはこのギャラリーの座標。

CIMG0069.jpg

CIMG0066.jpg

さて、グリッド。
国谷さんの作品「Mirror Site」を見ていて、
このあやふやな、とらえどころのない、
それでいて知ったような気にさせる「世界」と「自己」との距離とは
勿論、情報という良くも悪くも欠くべからざる要素の上で、
また日々変化する「実情」と「印象」が
ごちゃまぜになって、なんだか薄い実感。

CIMG0068.jpg


ステンレスの鏡の前に立つ。
勿論自身が映っているわけだけれど、
僕も含めた背景を仕切る10mm間隔のグリッドによって
なおさらに、作者の言う「対象として提示されている」実感だけは顕著だ。
5つの「Mirror Site」は上下左右とも厚みの色が異なり、
反射光がそれぞれに僅かに違う。

もう一つの作品「Sand Piece」。
輪で支えられた漏斗(ろうと)状のガラス管が
天井からぶら下がっている。
別の場所にある小山のような大量の白い砂。
鑑賞者は金属製のスコップでそれをすくい取って、
漏斗に流し込む。
砂は白糸の滝のように落ちて行く、ただひたすらに…
そして、そこに新しい砂山ができあがる。
すくわれる、流される、落ちる、積もる…
鑑賞者の手によって砂は時間に置換され、
砂山はそのまま、止まった砂時計と化す。

CIMG0064.jpg


なんという簡潔さ。

このスペースにまるで昔からあったような漏斗の気配。
特にギャラリーに上がる階段上にしつらえられた「Sand Piece」は
落差による空気の揺らぎによって、
まるで水しぶきのように、細雪のように、
美しくたなびきながら落ちて行く時間を示す。

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一つ興味深かったのが砂山は段々と砂山になっていくのではなく、
最初はクレーター状に落ちた砂は周囲に飛んでいくということ。
一度見てみたかったと思う。

時間と存在は対象無くして提示することはできない。
対峙する肉体と知覚があってこそ、その関係が認知されるのだ。
と、相変わらずシッタカぶってみる。
国谷さんの作品はどれも、清々しいほどに明快で、スタイリッシュである。
クールであると言ってもいい。
そして静かに「自覚」を促してくれる。

「あなたの存在と私の存在によって作品を完成へと導くことを、
あなたの存在と私の存在の証明とする。」
(作者ステートメントより)

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