「 モノグラム美術 」
Category : 現代美術シッタカぶり
2014.3.28〜4.6【 KUST ARZT 】
モノグラムというのは2つ以上の文字を組み合わせて図案化したものというのが
検索して出て来る大方の答えです。
まぁ、シャネルやヴィトンのあれですね。
で、その有名なモノグラムとしてルイ・ヴィトンのアレですね、
アレを美術作品の素材として使用した場合、
果たしてこれが法に抵触するのか否か、というのを
家本真実さん(摂南大学法学部准教授)という方が
テキストで述べておられます。
今回の展覧会は5人の作家がぞれぞれにモノグラムを使用した作品を発表しています。
中でも岡本さんの「バッタもん」は国内はおろか、
海外にもその成り行きが報じられて、
計らずもご本人も予想だにしなかった展開になりました。
バッタもんに関しては岡本光博さんを紹介するページ、
http://okamotomitsuhiro.com/page/w/battamon/BATTAmons.htm を
見ていただくとその経緯がわかります。

2011年5月に閉廊した neutron gallery で
高須健市さんの「SURFACE(上っ面という意味)」を見た時の爽快な驚きは
今もって新鮮です。
街に捨てられていたチラシなどの紙ゴミを集めて、ヴィトンのモノグラムに切り抜き、
壁一面に貼ったもので、今回は京都の祇園でのゴミが素材となっています。
これは作家も述べているように「ハイブランドへのアンチテーゼではなく、
表層の価値のみを求めて消費する側への批判」です。
初めて見たときはその状況への驚きがあって、やがて自身(というか僕は何ら
ヴィトンには興味ありませんが)も持つ、ごくささやかではあるが確実な
「ブランド信奉」というものの強烈なフィードバックを食らいました。


タノタイガさんの作品はクスノキに色鉛筆(!)で彩色された、
写真で見てもホンマもんと見紛うほどの木彫バッグです。
このバッグもそれなりのヴィトン社との経過があって、
結果的にLVのマークに黒丸のシールを貼って
注釈付きで2ヶ月間美術館で展示されたということです。
このバッグを肩にかけヴィトンの店舗を訪ねるという
パフォーマンスもされています。
この時はさしたる問題は起きなかったとあります。


ペーパークラフトのモノグラムのバッグを展示する宮川ひかるさんは
この作品を単なる制作物としてではなく、
ヴィトンの店舗の前での警察への連行という、
(おそらくはヴィトン側が通知したものでしょう)てん末によって
この“紙バッグ”が起こした「逆撫で」が大きくクローズアップされることになります。
店の前でシートを広げ、制作したバッグを並べて、
それぞれ同型のバッグの値段を付け、販売しようとした矢先の連行は
専門家によればやはり「商品」であるとして
ヴィトンが主張した結果であると考えられます。




DMのメインビジュアルとなっているナディア・プレスナーさんの作品。
チワワを持ったアフリカ人らしき少年が腕に通しているのはモノグラムのバッグです。
このモノグラムはよく見ると「S」と「L」です。
これは「Simple living」という絵画作品で、彼女はこれをTシャツやポスターにして
販売し、その売上げをある団体に寄付しようと考え、事実売っていました。
そこでヴィトン社から訴えられたというわけです。
先の法律家である家本さんはこの訴訟については
これは「商品」として売られていた経緯があって、つまり見た人は当然、
ヴィトン社の許可を得たものと認識し、従ってこれらの「商品」の販売は
「商標や著名表示を無断で使用しているとして商標法や不正競争防止法違反で
あるとされる可能性はあるだろう(テキストより)」と述べておられます。

それぞれがどうヴィトンの判断による警告や訴訟という対処に至ったかについては
モノグラムそのものが、どういった過程で広く人々に認識され、
ヴィトン社がそのことによって、どう主張しているのかによって
少しずつ違ってくるようです。
ともあれ「何かがおかしい、何だかヘンだ」という、喉元の小骨のような感覚は
已然としてあります。
これをヴィトン社が「セコい」「フトコロが小さい」というのは簡単でしょう。
しかし問題なのは「ブランド」を単なる「所持欲」を満たすアイコンとしてしか
消費者が認識していないことや、
よく言われる「ブランド力」の「力」とは時に何かを覆い、他者を脅かし、
見えなくしてしまう怖さも秘めているのではないかと僕などは考えます。
岡本さんの作品が撤去された事例などは
神戸市の対応や配慮といったものが、あまりに一方的であったという
少なくとも僕には「誤り」でなかったのかという感じが常にありました。
神戸市は何に配慮したのか。
守るべきものは果たして何なのか。
或る美術ライターさんはこの展覧会の模様を画像に収めることをやめました。
やはり職業上、何らかの法的な部分で抵触することを鑑みての判断です。
それほどにデリケートな問題であるとも言えるし、
逆に一体何が問題なのかと思う時もあります。
面白いのは(知っている人も多いと思いますが)
このモノグラムが日本の家紋をヒントに作られたのではないかという
なんとも興味深い成り立ちです。
口が裂けても本当のことは言えないかも知れませんが…
会場で岡本さんが着てらしたジャケットは
正に家紋“ベース”とヴィトンのモノグラムのマッチングで
名付けて「モト(元)グラム」と仰ってました。
さすがに岡本さん、です。

モノグラムというのは2つ以上の文字を組み合わせて図案化したものというのが
検索して出て来る大方の答えです。
まぁ、シャネルやヴィトンのあれですね。
で、その有名なモノグラムとしてルイ・ヴィトンのアレですね、
アレを美術作品の素材として使用した場合、
果たしてこれが法に抵触するのか否か、というのを
家本真実さん(摂南大学法学部准教授)という方が
テキストで述べておられます。
今回の展覧会は5人の作家がぞれぞれにモノグラムを使用した作品を発表しています。
中でも岡本さんの「バッタもん」は国内はおろか、
海外にもその成り行きが報じられて、
計らずもご本人も予想だにしなかった展開になりました。
バッタもんに関しては岡本光博さんを紹介するページ、
http://okamotomitsuhiro.com/page/w/battamon/BATTAmons.htm を
見ていただくとその経緯がわかります。

2011年5月に閉廊した neutron gallery で
高須健市さんの「SURFACE(上っ面という意味)」を見た時の爽快な驚きは
今もって新鮮です。
街に捨てられていたチラシなどの紙ゴミを集めて、ヴィトンのモノグラムに切り抜き、
壁一面に貼ったもので、今回は京都の祇園でのゴミが素材となっています。
これは作家も述べているように「ハイブランドへのアンチテーゼではなく、
表層の価値のみを求めて消費する側への批判」です。
初めて見たときはその状況への驚きがあって、やがて自身(というか僕は何ら
ヴィトンには興味ありませんが)も持つ、ごくささやかではあるが確実な
「ブランド信奉」というものの強烈なフィードバックを食らいました。


タノタイガさんの作品はクスノキに色鉛筆(!)で彩色された、
写真で見てもホンマもんと見紛うほどの木彫バッグです。
このバッグもそれなりのヴィトン社との経過があって、
結果的にLVのマークに黒丸のシールを貼って
注釈付きで2ヶ月間美術館で展示されたということです。
このバッグを肩にかけヴィトンの店舗を訪ねるという
パフォーマンスもされています。
この時はさしたる問題は起きなかったとあります。


ペーパークラフトのモノグラムのバッグを展示する宮川ひかるさんは
この作品を単なる制作物としてではなく、
ヴィトンの店舗の前での警察への連行という、
(おそらくはヴィトン側が通知したものでしょう)てん末によって
この“紙バッグ”が起こした「逆撫で」が大きくクローズアップされることになります。
店の前でシートを広げ、制作したバッグを並べて、
それぞれ同型のバッグの値段を付け、販売しようとした矢先の連行は
専門家によればやはり「商品」であるとして
ヴィトンが主張した結果であると考えられます。




DMのメインビジュアルとなっているナディア・プレスナーさんの作品。
チワワを持ったアフリカ人らしき少年が腕に通しているのはモノグラムのバッグです。
このモノグラムはよく見ると「S」と「L」です。
これは「Simple living」という絵画作品で、彼女はこれをTシャツやポスターにして
販売し、その売上げをある団体に寄付しようと考え、事実売っていました。
そこでヴィトン社から訴えられたというわけです。
先の法律家である家本さんはこの訴訟については
これは「商品」として売られていた経緯があって、つまり見た人は当然、
ヴィトン社の許可を得たものと認識し、従ってこれらの「商品」の販売は
「商標や著名表示を無断で使用しているとして商標法や不正競争防止法違反で
あるとされる可能性はあるだろう(テキストより)」と述べておられます。

それぞれがどうヴィトンの判断による警告や訴訟という対処に至ったかについては
モノグラムそのものが、どういった過程で広く人々に認識され、
ヴィトン社がそのことによって、どう主張しているのかによって
少しずつ違ってくるようです。
ともあれ「何かがおかしい、何だかヘンだ」という、喉元の小骨のような感覚は
已然としてあります。
これをヴィトン社が「セコい」「フトコロが小さい」というのは簡単でしょう。
しかし問題なのは「ブランド」を単なる「所持欲」を満たすアイコンとしてしか
消費者が認識していないことや、
よく言われる「ブランド力」の「力」とは時に何かを覆い、他者を脅かし、
見えなくしてしまう怖さも秘めているのではないかと僕などは考えます。
岡本さんの作品が撤去された事例などは
神戸市の対応や配慮といったものが、あまりに一方的であったという
少なくとも僕には「誤り」でなかったのかという感じが常にありました。
神戸市は何に配慮したのか。
守るべきものは果たして何なのか。
或る美術ライターさんはこの展覧会の模様を画像に収めることをやめました。
やはり職業上、何らかの法的な部分で抵触することを鑑みての判断です。
それほどにデリケートな問題であるとも言えるし、
逆に一体何が問題なのかと思う時もあります。
面白いのは(知っている人も多いと思いますが)
このモノグラムが日本の家紋をヒントに作られたのではないかという
なんとも興味深い成り立ちです。
口が裂けても本当のことは言えないかも知れませんが…
会場で岡本さんが着てらしたジャケットは
正に家紋“ベース”とヴィトンのモノグラムのマッチングで
名付けて「モト(元)グラム」と仰ってました。
さすがに岡本さん、です。
