冨士山アネット/Manos「醜い男」

Category : パフォーマンス見聞
見にくい男

2014.9.26.〜9.28【アトリエ劇研】
原作:マリウス・フォン・マイエンブルク
構成/演出/振付:長谷川 寧
CAST:板倉チヒロ、中林 舞、大原研二、福原冠

「醜さ」は「醜い」という断定的かつ個人の判断基準に基づく表現よりは
「さ」であることから度合いであるとも言えます。
「優しさが足りない」と言いますが「醜さが足りない」とは言いません。
できれば、そこそこ足りていた方が、できれば無い方が安心です。
では、誰のために?

「顔」、これをあくまで「表層」ととらえ、
本当は内面的な醜さこそが一番の“醜さ”と考える人がほとんどでしょう。
では内面的な醜さとは何でしょう。
それは誰にでもある普遍的な部分ではないでしょうか。
先の「顔」とは、僕にとっては「顔つき」になります。
「顔」の美醜は持って生まれた程度の問題でありますが、
「顔つき」は違います。
内面的な醜さは瞬発力をもって相手に迫ります。
それが四六時中続くわけではないので、内面的な醜さを定義するのは
口はばったいような気もします。
しかし生まれついて内面が醜い人など居ないと同じくらいに
顔つきがよくない人はいます。

冨士山アネットの新作はセリフのある演劇です。
冨士山アネット/Manos(マノス)とは、
冨士山アネットから派生した、演劇に特化したユニットです。
主宰の長谷川寧さんはダンスと演劇を(それぞれにある不自由さ=制約はともかくも)
自由に行き来できる希有な存在であると思います。
今回マノスを始めて見て、改めて「気をゆるすこと」を旨としない人だなと感じました。
気をゆるす、とは妥協点の位置のことです。
膨大な量のセリフ、勿論長谷川さんのことですから、振付けもあります。
俳優の身のこなし、感情の起伏もできるだけ触れ幅を少なくしているように感じました。
長谷川さんにとってエキセントリックであることは
エキセントリックな動き(一見そう見える)や感情表現について
スマートさ、洒脱さ、決してはしゃがない見せ方を
おそらくは落ち着き払って演出していると思っています。
「派手に見せること」ことを嫌う性分かもしれません。
それにしてもどの俳優も魅力的でした。
達者であるのは勿論ですが、やはり魅力的でないといけません。
自分では認識していなかった顔。
新製品のプレゼンに立つ予定でいた男が
その「醜さ」ゆえに降ろされる…
自覚なき醜さの哀しさがもたらしたものは、怒濤の憐憫と同情でした。
奥様と取引先の“偉いさん”の二役を演じた中林舞さんの
蠱惑的でかつ凄みのある演技も実にかっこいい。
30カ国以上で公演されたこの戯曲のもつ魅力を
改めて知りました。
それ以上に長谷川さんのセンスに尽きます。
僕も二度ほどワークショップを経てのショーイングの機会に
(その節は大変迷惑かけましたが…)恵まれましたが
重ね重ね長谷川さんの発想、着想に感服します。
役者さんのコスチュームも生地から選んだのかと思う程に
フィットしていましたし、
ブラックボックスな劇研の舞台環境を活かした演出でした。
東京、京都、福岡と計23公演ものハードスケジュールを
こなしているとは思えないほどに悠々と溌剌と粛々と、
そしてキワドく演じる役者の面々。
しかし、当の長谷川さんはなんとも飄々としているんですね。
僕にとってはいつもそんな印象があります。
役者、演出家、脚本家、振付師…
どれも長谷川さんという強烈なベクトルが
背中に映えた翼のように
新しい舞台の度にわさわさと大きく
そして涼しげに羽ばたいています。
増々楽しみな冨士山アネットです。

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